谷中にあった「真宗東京中学」

 夕刻、北千住でK氏。少し早めに出て、お茶の飲めるところに腰を落ち着け、先日買い求めた『谷中・根津・千駄木』の終刊号(其の九十三)と「ホントは無かった幻号」(其の九十四)を読んだ。目にとまったのは、其の九十四にあった「ご近所調査報告:谷中にあった東京真宗中学校*1」という記事。数藤吉彦氏という方が寄せられた手記である。
 大谷大学の前身にあたる真宗大学が東京の巣鴨にあったことは知っていたが、現在の大谷中・高等学校につながる真宗東京中学という学校が存在したことは、恥ずかしながら今日の今日まで知らなかった。もともとは、1876(明治6)年に浅草本願寺の中に真宗東派学塾として設立されたものだそうで、東京小学校、東京教校、大谷教校、真宗第二中学寮と名前を変え、1896(明治29)年に真宗東京中学になったという。真宗大学が巣鴨に移ってきたのは1901(明治34)年のことだから、その5年前ということになる。学校の場所も、浅草の松清町から小島町、谷中真島町を経て、巣鴨の新田に移ったのだという。ただ、この巣鴨の新田というのは真宗大学の置かれた場所とは別である。
 谷中真島町というのは現在の谷中2丁目のあたり。高校時代に歩いた懐かしい町だ。真宗東京中学の校舎が真島町にあった頃には体操場を上野桜木町に置いたというが、こちらはもっともっとなじみ深い町だ。真宗と学校史と懐かしい町。ああ、これで心の動かぬはずがない。ちょいと本格的に調べてみたくなった。
 K氏には新しいもつ焼きの店を教えてもらった。おいしいし清潔感はあるしずいぶん上等な感じがしたけれど、1本200円というのはもつ焼きとしてどうなのだろう。うん、まあ、でも、おいしかったからいいか。特にガツは絶品だった。

*1:正確には「真宗東京中学」なのだから、このタイトルはどうかと思う。こういうところが杜撰なのはこの雑誌の一貫した特徴であって、私が読むのをやめた理由の1つでもある。