大和明先生を憶う

 夏というのは不思議な季節で、ふとお浄土に還られた方のことを思い出してみたりする。どういうわけか、一昨日あたりから大和明先生のことが思われてならない。
 大和氏はジャズの評論家・研究家として有名な方だった。2008年の9月8日、72歳の生涯を終えられた。長く癌を患っておられたというが、『ジャズ/歴史と名盤』(音楽之友社、1982年)などの著書をはじめとして、雑誌記事やライナーノート、また企画にあたられた名盤選集などを数多く遺された。
 大和氏は日本史の教師だった。そのことを知っているのは、私が以前お世話になった学校に長く勤められ、教頭を経て校長にまでなられた方だったからだ。つまり、私にとっては同僚であり上司であったのだ。だから、自分にとっては「先生」とお呼びするのがいちばんしっくり来る。
 実を言うと、先生の訃報はずいぶん遅れて知った。私はすでにその学校を離れていて、連絡を取り合う仲間もいなかったものだから、その学校の同窓会報で知ることとなったのだった。
 大学時代の友人に熱狂的なジャズのファンがいた。今度勤めることになった学校の教頭先生はジャズの評論をしているらしいと言って私が大和先生のお名前を口にすると、彼はものすごく驚き、次いでジャズ評論の分野における大和明という人物の業績を熱く熱く語って聞かせてくれた。
 その友人にサインをもらってやろう。そう思った私は、休み時間に教頭席の大和先生のところへ行ってジャズ好きなその友人のことを話した。先生は少し照れくさそうに、勤務時間を外してもらえればさせてもらいますよとおっしゃる一方で、でも本当に私のサインなど欲しいのですかと何度も確かめられた。
 その後のことを言えば、実は先生にサインはいただかなかった。先生が照れくさそうにされるのがうつってしまったとでも言えばよいだろうか。自分の頼みごとが奇妙なことのように思えてしまって、お願いに出向くことができなくなってしまったのだった。いつでもお願いできるという安心感が、かえってその奇妙な頼みごとを遠ざけてしまったのかも知れない。
 結局、先生とは私がその学校にいたわずか5年間のお付き合いになり、教員という仕事のうえでの関わりだけになってしまった。だが、短い間ではあったけれど、思わぬところで私の軽口につきあっていただいたり、受験雑誌に掲載する学校の広告のことで意見を聞いていただいたりと、飄々として洒脱な先生だったからこそ受け入れていただけたことがいくらもあったように感じられる。
 今となってみれば、もう少しずうずうしくしてもよかったのかも知れないと思う。それこそ、その友人とともに先生のお宅に押し掛け、レコードのコレクションやオーディオルームを見せていただけばよかった。そうして、まさに「二足のわらじ」を履いて生きることの楽しさや辛さを聞かせていただけばよかったとも思う。
 先生はいわゆるディスコグラファーとしても知られた方だったが、その膨大なレコードのコレクションはご子息が引き継がれたとのこと。ご子息は現在、那須高原でカフェを経営されており、そこへ行けば見せていただいたり聴かせていただいたりすることができるようだ。この夏、機会を見つけてぜひ訪れてみたいと思う。