努めて真面目に制服を語る

 遅く起きたら、ラジオからは永六輔さんの声。今日の「土曜ワイドラジオTOKYO:永六輔その新世界」は「気になる制服」が話題になっていた。学校の制服に限らず、制服というものに思い入れのある人のなんと多いことか。読み上げられるリスナーからの便りの数々を聞いてそう思った。
 ラジオを聞きながら、昨日の帰り道にMi君に話したことを思い出した。
 高校時代のある日のこと。クラスのU君が登校して来るなり聞きたいことがあるという。北千住駅で毎朝見かける子が気になるのだが、どこの学校の生徒か教えてくれないかと言うのである。制服はジャンパースカートでベルトのバックルが校章なのだなどと言いながら、頭に入れてきたその意匠を私のノートに描き始めた。円の中に十字が描かれた図形が中心にあり、それを取り囲むように扁平の輪が三つ施されている。
 ああ、三輪田だね。真ん中のは田んぼの「田」で、周りにあるのは輪でしょ。三つの輪に田で、三輪田。この学校に迷惑をかけることはないと思うから実名を出すけれど、どうやら三輪田学園のお嬢さんらしい。ありがとうとしきりに礼を言うU君。尋ねる方も尋ねる方だが、答える方も答える方ではある。
 で、翌日、そんなに素敵なお嬢さんならばお目にかかりたいというわけで、いつもより少し早く家を出て、千代田線の北千住駅のホームでU君と待ち合わせた。あのジャンパースカートならば間違いなく三輪田のお嬢さんだ。サラサラの長い黒髪。僕らよりずいぶん大人っぽく見えた。結局、U君はそのお嬢さんに声をかけることもなく高校生活を終えたのだが、そんなくだらないことが楽しい頃だった。
 何の関わりもないお嬢さんではあるが、その後も毎日のように見かけるわけで気にはなる。二学期が始まったばかりのある日、久しぶりに見かけたそのお嬢さんがひどく疲れた顔をしていて、この夏のうちに何があったのだろうと心配したりもしたのだった。実に余計な世話だが。
 思えば、かつては、あの制服はどの学校ということが容易に言い当てられた。もうどちらの学校も名前が変わってしまったし迷惑をかけることはないと思うから再び実名を出すけれど、大昔の嘉悦女子や巣鴨女子商業の制服など、密かに好もしく思っていたものだ。それが、今となっては何がどこやらさっぱりわからない。興味もないけれど。
 嘉悦女子と言えば、この学校は僕らが高校に入る頃に制服をブレザーに緑色系のタータンチェックのスカートを合わせたものに変更した。そして、それがきっかけとなって制服のモデルチェンジが相次ぎ、街中がチェックのスカート姿の高校生で埋め尽くされるようになったのだった。
 晴海の方にある都立高校も、タータンチェックのスカートを女子の標準服に定めた学校の一つだった。その頃「ツッパリ」と言われた人々はまだまだ長いスカートに強い思い入れを持っていたものだから、そのチェックのスカートを長くして引きずるように歩いたものだ。ミモレどころかマキシ、いやオバQと言った方がよいだろうか。今の女子高生のスカートが五着は作れるほどの生地を使ったあのスカート、もし持っている人がいるならば博物館に寄贈した方がよい。服飾文化史の第一級の史料となるはず。
 話を戻して、押さえておかなければならないのは、一連のブームに先駆けて最初にチェックのスカートを制服にしたのは嘉悦女子ではなく頌栄女子学院だったということ。制服は伝統なのであって変わることのないものだという固定観念を見事に打ち破った、つまりは制服は変えてもよいのだということに気付かせたという点においてこの学校の功績は大きい。もっとも、その当時の「伝統的な」制服と言っても、大正の終わりから昭和の初めの頃に定められたものであり、その程度の「歴史」しか持たないものだった。それ以前の女学校では和装が標準だったことを思えば、ごく当たり前のことではあったが。
 で、残念なことではあるが、あとを追う数々の学校は、制服は変えてもよいのだという気付きにおいて最も大切な部分を正しく受け継ぐことができなかった。いや、モデルチェンジの意味をしっかり理解した学校は、個性的で生徒たちからも愛される制服を生み出すことができたのだ。けれど、ただ追いかけるだけの学校は、何を着せようかということを真剣に考えないまま、あるいは業者の口車に乗せられ、ただ追いかけるだけの制服を定めてしまったのである。
 これは迷惑をかけるかも知れないから名前を伏せるけれど、例えばK学園女子が昭和7年以来の制服を変えてしまったとき、本気で悲しんだ人はずいぶん多かったはずだ。その頃は私学の中高に勤めていたもので、その学校の先生ともつながりがあったのだが、実際にその学校に勤めている人が「本当にこれでよいのかと思います」と言っていたことを思い出す。
 同じ頃、これは名前を出してもよいかな、文大杉並が制服を新しくした。私学の合同説明会のとき、マネキンが着ているその制服の個性的なデザインにひかれ、デザイナーや業者などを教えてもらおうと名刺を持ってあいさつに行くと、教頭先生だったろうか女性の先生がていねいに応対してくださった。この制服は中学生には少し大人っぽくないかという問いかけに「入学したばかりの子どもたちが着こなそうと無理しているさまは、それはそれで微笑ましいものですよ」と答えてくださるのを聞き、この学校は大丈夫だと不遜ながら思ったのだった。
 かつて制服は管理の象徴であり、それだからこそ僕らの高等学校の先輩は「学園紛争」の時代に制服を含む生徒管理の諸規程を全廃させた。僕らは、他校の制服が気になりながらも自分たちは身に付けないという三年間を過ごした。今、制服は生徒募集の有効なツールだという。思いとか願いとかまなざしとか、そういう青臭いことを言うものどうかと思うけれど、制服というものが本当にそのようなツールになるのだとしたら、何を着せ、それにどんな意味を持たせるのかということを本気で考えた方がよいのではないか。一歩も二歩も先を行った学校を五歩も十歩も遅れて追いかけたところで、今を歩いていることにすらならないのではないだろうか。
 オヤジが制服のことを語り出したらおかしな人や危ない人のレッテルを貼られて終わるのが落ちだが、そこはそれ、ちょっとだけ服飾文化史や学校経営の視点が感じられるでしょ。感じられないって、やっぱり。