また浮き差も冬晴らすか

 津波の被害は心配したほどではなかったようで一安心。安心したので言うのだけれど、ニュースのことばというのはなかなか難しいものだと思う。昼前のニュースで「青森県から宮城県にかけての太平洋岸」という表現を何度も耳にしたが、それは「青森県・岩手県・宮城県の太平洋岸」ではいけなかったのだろうか。○○から××までというのは地図を見ている人の言い方ではないのかしら。
 このような言い方で思い出すのは、各クラスに草木の名前を付けて呼んでいた女子校に勤めていたときのこと。その学校では、1組目が「松」、2組目が「竹」というようにすべての学年で同じようにクラスの名前をつけていた。松・竹・梅・菊・桜・桃・藤・百合・萩・蘭・杉・楓の順番だったろうか。それぞれの頭文字を取り、マ・タ・ウ・キ・サ・モ・フ・ユ・ハ・ラ・ス・カのようにカタカナで表すこともあった。
 ある年の中学1年生の保護者会のこと。その学年はマ・タ・ウ・キ・サ・モの6クラスだったので、講堂の座席を左右に分け、松・竹・梅は左側、菊・桜・桃は右側に座ってもらうことにした。誰が作ったのか知らないが座席を示す貼り紙が2枚。1枚には「マ〜ウ」、もう1枚には「キ〜モ」と書いてあった。
 一人のお母さまが私のところに近づいてきて、こうおっしゃった。
「すみません。竹組でお世話になっておりますが、どちらに座ればよいでしょうか」
 そう言われてやっと気付く貼り紙の不親切さ。「マ〜ウ」の中には「タ」が、「キ〜モ」の中には「サ」が含まれているのだが、そのことに気付けというのが無理な話だ。慣れというのは恐ろしいもので、その学校の教員にとっては、マ・タ・ウ・キ・サ・モ・フ・ユ・ハ・ラ・ス・カは、数字やアルファベットと同じように「順序」を表すものになってしまっていたのだ。
 ○○から××までという表現は便利で合理的なもののように見えるが、そこに何が含まれているのかをこそ、よく考えなければならない。わずかの言いかえでわかりやすさや親切さが増すのであれば、つとめてそのようにしたいものだ。