また星がひとつ

 所属寺を会場とする「いのちのふれあいゼミナール」の途中、仲間からもらったメールで、広島の松村幹男先生が亡くなられたことを知った。
 先生に初めて直接にご指導いただいたのは、東大附属時代の宮田幸一を研究対象にしていた頃、文化評論出版の古い雑誌に東大附属の研究会の様子が報告されているものをコピーしていただいたことだった。全国大会で松村先生が発表され、その雑誌が回覧された際、伊村元道先生がこの記事に目をとめられた。先生は隣室で別の発表を聞いていた私のところへお越しになり、松村先生に手紙を書いてその雑誌を見せてもらうようアドバイスしてくださったのだった。
 思えば、伊村先生はこうして資料を見せていただく方法や高名な先生とおつきあいさせていただく方法を教えてくださったのだと思う。入会したばかりだった私は、自己紹介から始まる手紙をずいぶん緊張して書いたことを覚えている。松村先生は、すぐにコピーをとって送ってくださった。円いような四角いような、先生の書かれる独特の文字が懐かしい。松村先生もまた、こうして研究者のありようを示してくださったのだと思う。
 先生は私のような者に対しても決してことばを崩されることがなかった。広島での例会の際、いつも笑顔で親しくお話しくださったことを思い出す。昨年9月の広島例会の際、質疑応答の中でミシガンメソッドと東大附属のことをお話しさせていただいたのがお目にかかった最後となってしまったが、宮田幸一に始まり宮田幸一に終わったことを振り返ると、先生の残してくださった大きな宿題なのかとも思えてくる。
 ご宗旨で、先生は神様になられると言う。仕事があってお通夜にもご葬儀にも伺えないことが本当に申し訳ない。ただひたすらに憶念するときを過ごしたいと思う。