自分のことばが「違う」と気付いたとき

 大学に入学して半年ほど経った頃だと思う。その日は学科の友だちと三人で本郷の辺りを歩いていた。道案内のつもりで「この坂を下りると湯島の交差点だよ」と言ったとき、二人の友だちはほぼ同時に反応した。二人は僕の「坂」のアクセントが違うと言うのだ。
 外国語を専門とする大学だけあって、ことばにはうるさい同級生が多かった。同級生はわずかに16人しかいなかったが、僕などはその中でも特にうるさい方だったのだろう。その僕がアクセントを間違えたのだから、二人は大騒ぎだった。
 自分のアクセントに間違いがないと信じていた僕は、翌日、生協の書店でNHKの『日本語発音アクセント辞典』を買い求めた。そこには、「垢」「山」のようなアクセントの「坂」(これを《坂A》としよう)を放送で用いるべきアクセントとする一方で、「赤」「母」のようなアクセントの「坂」(これは《坂B》とする)を括弧でくくって表示してあった。
 僕が当たり前のように使っていたのは括弧でくくられた方の《坂B》だったのである。括弧にくくられている意味がよく分からない僕は、無礼を承知でその日のモンゴル語の時間に主任教授の小澤重男先生に質問させてもらった。
 〜私は《坂B》ですよ。でも、うちの子どもたちは《坂A》でしょうねえ。家内が《坂A》ですからね。私は下町の生まれですから《坂B》です。君も《坂B》ですか。下町には違った言い方がたくさんあるでしょう。「ゴム消し」とか「ライスカレー」とか。君も「ゴム消し」って言うでしょう。
 「ゴム消し」と「ライスカレー」の話はアクセントとは関係ないが、小澤先生が答えてくださった中身は今でもよく覚えている。僕はこのとき、東京のことばと一口に言っても、いわゆる「山の手」と「下町」とでアクセントに相違のある場合があり、NHKをはじめとする放送では「山の手」のアクセントを主とし「下町」のアクセントは括弧にくくることで許容すべきものとしていること、そして、ことばは主に母親を通じて子どもに伝えられることを学んだわけである。
 自分の話していることばと世間で「標準語」などと呼ばれているものとは違うのだと知ったのはこのときである。「坂」のほかに「熊」にも同様のアクセント上の特徴があることは、もう少し経って知った。
 昨日、母語に内省的であった先生たちのことを書いたが、小澤重男先生もその一人に当然加えられなければならない。小澤先生も日本橋のお生まれで、昨日の風間先生とは久松小学校の同窓である。小澤先生は寅年(モンゴル語で「バル」)とおっしゃっていたから1926年のお生まれだったか。風間先生は1928年のお生まれだから2級下ということになる。日本を代表する言語学者が揃って学んでいた小学校という点において久松小学校は特記されるべきだろう。
 それにしても、お二人が同じ小学校のご出身ということは、いつどこで知ったのだったか。「参考文献を示せ」と迫られても困ってしまう話である。