母語を内省する

 一日遅れで、録画してあったドラマ『あんどーなつ』を見る。東京出身の女優と横浜出身の男優が「京ことば」を使う役を演じていたが、その女優のことばはどうにも京都のことばには聞こえず、最後までドラマの筋に集中できなかった。
 では、と考えてみる。自分は京ことばで話すことができるだろうかと。京ことばでなくてもいい。三河弁、安芸弁、備後弁はいずれも自分の縁のある土地のことばだが、果たしてこれを使って話すことはできるのだろうか。俳優さんたちはお手本の真似をすればよいのだろうが(それでも、相当に難しそうだが)、出身地以外のことばを自分で話せるようになるのはそれこそ容易なことではないだろう。
 大学時代のある先生は熊本のご出身だった。ご自分は東京周辺のアクセントやイントネーションで話していると信じていらっしゃるようだったが、客観的には、出身地のことばのアクセントやイントネーションをずっと保持していらっしゃる方だった。この方の授業を90分間聞き続けることは、僕にとっては苦痛以外のなにものでもなかった。出身地のことばはまさに「ネイティブ」のことばなのであって、これを否定する気はまったくない。しかし、職業として人前で話をするとなれば、相応の努力は求められて当然だろう。
 三河→東京(下町)という流れを持つ父と、広島・岡山→京都という流れを持つ母のもとに生まれ、東京の下町に育った自分は、人前で話すときのことばにはかなりの神経を使うのである。普段着のことばとよそ行きのことばとは違う。中学時代の友だちと飲むときやお寺の仲間たちと話すときのことばと、学会で発表するときや授業中に話すときのことばとの間には明確な線を引く。わずかな差異であっても、そこに心を配るのは、人前で話をすることでかろうじて暮らしている自分にとって最低限の礼儀であり、話すことを職業とする者としての当然の責任である。
 ところがこの先生は、ことばの教師であるにもかかわらず、自分がどのような日本語を使って話しているかに気付くことができない方だったのである。「ことばの」教師ではなく「英語の」教師に過ぎなかったのかも知れない。母語を内省的に見つめることのできない人から英語史の話を聞いても仕方がないと思い、いや、もっと簡単に言えば、拷問のような90分間に耐えられず、その授業の単位はいただかないことにした。
 今、ここで思い出すのは、母語に内省的であった二人の先生のことである。
 一人は、東京大学で言語学を講じておられた風間喜代三先生である。風間先生には直接お世話になったわけではないが、大学時代に読んだ雑誌『言語』誌上のエッセイをよく覚えている。先生は日本橋のお生まれで、いわゆる東京のことばの中で成長された。おとなになってからもうっかりすると土地のことばが出てきてしまうので、ときどき講演した際の録音を聞いて点検しているという話だった。
 もう一人は、同窓にして元同僚のM先生である。先生は北海道のご出身だが、あるとき何気なくご出身の土地のことばにはどのような音韻的な特徴があるかとうかがったことがある。先生は「幼稚園」という語のアクセントが東京のことばとは違うと即答され、2種類の「幼稚園」を発音してくださった。アクセントを表記できないのでちょっと工夫すると、東京のことばでは「甲子園」と同じようなアクセントだが、北海道のご出身の地域では「タンバリン」と同じアクセントになるということであった。
 お二人とも、実に尊敬すべき「ことばの」教師である。なかなかこういうことはできることではない。
 ことばの教師がこの世に本当に必要ならば、出身地以外のことばをひとつ使いこなすことを義務づけてみたらどうだろう。TOEFLやTOEICでは測れない力が「ことばの」教師には必要である。