インプット・メソッドの未来

 ずっと続けていた作業は、不完全ながら「第一次稿」を仕上げる。いろいろあって「完成版」と言えないのがつらいところだ。
 法話を書き起こすうえで難しいのは、お聖教*1のことばの扱いである。どうしても、出典を明らかにしたうえで文字づかいも原典通りにしたくなるのである。ネット上の便利なサイトに助けてもらうことも多いが、『真宗聖典』を引っ張り出してきて該当箇所を見つけては一文字ずつ打ち込むこともしばしばである。
 お話しされる先生が、経典や書物の題名を言ってくださったり、どなたのことばと教えてくださればよいのだが、必ずそうしていただけるとは限らない。ごく普通のことばづかいの中に、いわばカギ括弧をつけてお話しされることもあるものだから、そのような文言を聞き逃すことのないよう、じゅうぶんに注意しなければならないのだ。ここはご和讃のような言い回しだとか、このことばづかいは清沢満之に違いないとか、見当をつけながら聞くのである。これはしんどいが楽しく、勉強にはなるが手間のかかる仕事だ。
 もうひとつやっかいなのは、先生方の「お国ことば」をどこまで活かすかということであろうか。私は、お話くださった先生の息づかいをできるだけ大切にしたいと思う方なのだが、ある程度調整しないと、まるで読めないものになってしまう。このバランスはなかなかに難しい。
 これに関連して思うことは、誰か「お国ことば」に対応するインプット・メソッドを開発してはくれないだろうかということだ。勢いをつけて打ち込んでいると、変換結果を修正するために手を止めなければならないのである。

  • センナ欄言う取ります
  • 南保言う手も通人

 上は「しなければならないと言っています」という意味の「せんならん言うとります」であり、下は「何度言っても通じない」という意味の「なんぼ言うても通じん」である。お国ことば対応型のIM、土や炉、商売蜷ランカね。おっと、どやろ、商売にならんかね。

*1:これを「せいきょう」と読まれてしまうと話がややこしくなる。ここでの読みは「しょうぎょう」である。