この校歌で至誠ということばを知ったのだった

 上野高校の同窓会報『東叡』第39号が届く。今年度の入学式の模様を伝える記事(p.12)に

 …校歌紹介(全員の校歌斉唱ではなくコーラス部数名による三部合唱)…

とあることを奇異に感じていると、同窓会の創立80周年を祝う会について伝える〈新16期〉宮崎氏の記事(pp.34-35)に以下のことばが並んでいるのを見つけた。

 母校はずっと、入学式開式前の20分を、保護者に“校歌指導”していました。最後の校歌斉唱では、皆堂々と心ひとつに歌いました。その後のPTA活動でも、何かというと校歌を歌い、大好きな行進曲の存在。ところが、最近は、コーラス部による「校歌紹介」で三部合唱なのです。どうか、今までのように関係者全員が歌えるように熟考を!
 校歌を編曲!? かつて『自主強調』が『自立強調』にされたこともありますし……。

 校歌は新入生に指導していたのであって、その指導を保護者も同時に受けていたに過ぎず、そのあたりは事実誤認と言うべきだろう。おまけに、日本語として理解できない部分もいくつかあって困ってしまうのだが、この文章を書いた人の気持ちは同窓生としてよくわかる。
 上野高校の新入生は、入学式で校歌を聞かせてもらうのではなく、自分たちで歌うのだ。同期入学の300人以上が、教職員とともに、そこに保護者までもが混じって、声高らかに校歌を歌って入学するのである。こんなにすごい学校がこの世にあるのかと、すっかり感激してしまったことをよく覚えている。
 私は、この校歌指導でいきなり名前を呼ばれ「君は、もう校歌を覚えてきたそうだな」と舞台に上がって歌えと言われた。兄を同窓生に持つといろいろなことがあるわけだ。あの時、言われるままに登壇して歌っていたら、後の人生は少し変わっていたかもしれないと今でも思う。
 これまでに何度か書いたが、上野高校の校歌は田村虎蔵の作曲である。あの曲を三部合唱に編曲するとは、母校の音楽の先生だろうか、ものすごい腕の編曲家がいたものだ。かつての勤務校にも小松耕輔作曲の校歌を勝手に合唱曲にしてしまった教師がいたが、世の中にはやっていいことと悪いことがあるとだけは言っておこう。ただ、母校の校歌の三部合唱については一度聞いてみたいような気もする。
 今日は、この際だから藤村作の手になる歌詞についても触れておこう。ここには1番と3番のみを掲げる。

  過ぎし時代に殉へつヽ   |  すぎしじだいに となえつつ
  新しき世に捧げたる    |  あたらしきよに ささげたる
  尊き至誠の香に匂ふ    |  たかきしせいの かににおう
  昔江戸の鎮護の地     |  いにしええどの しずめのち
  東叡山の丘の上      |  とうえいざんの おかのうえ
  そそりて立つは我が母校  |  そそりてたつは わがぼこう


  学海風は荒べども     |  がっかいかぜは すさべども
  人生谷は深けれど     |  じんせいたには ふかけれど
  人を頼まぬ雄心に     |  ひとをたぬまぬ おごころに
  力協せて捧げ持ち     |  ちからあわせて ささげもち
  仁愛正義赤白の      |  じんあいせいぎ せきびゃくの
  旗影遠く靡かせん     |  はたかげとおく なびかせん

 孫引きするのは気が引けるが、先に引いた宮崎氏の文章の中に、地域雑誌『谷根千』90号の表紙裏に森まゆみ氏が以下のように書いているとの紹介があった(p.34)。

 驚いた。“負けた側”を讃える校歌があるなんて。徳川の世に殉じて新時代の到来に命を捧げた至誠ゆかりの地。どんなに学びの道が険しかろうと、人生波乱万丈であろうと、「仁愛正義」の赤白旗を揚げた彰義隊のように、「人を頼まぬ雄々しい心」で行こう。

 森まゆみ氏に上野高校の校歌に関する資料を送った中澤伸弘先生という方を尊敬する。それに応えてくれた森氏のことも見直した。一言だけ付け加えさせてもらうならば、「人を頼まぬ雄心」で「力協せて捧げ持」つというところが大事なのだ。これこそ、母校の校訓「自主強調」の精神そのものなのである。