持久走

 高校の体育の時間には持久走が課されているようで、なかなか英語の気分に切りかえられない生徒もいる。グランドのトラックは1周が1,600メートルとのことで、校地が広いのはよいが、走るのが苦手だったらずいぶん辛いことだろうと思う。
 15歳の冬、ある大学の附属高校に出願書類を出しに行ったときのことを思い出した。伝統として門扉を設けていないという正門を入ると、校舎までの並木道を挟むように野球やサッカーやラグビーのできる大きな運動場がいくつも並んでいる。この学校に入学したら、あんなに広いグランドを走らされるんだと、ひどく不安になったものだ。
 出願の手続きを済ませて引き返し、正門を出ようとすると、入れ替わるように体操着姿の何人もの生徒が息を切らして駆け込んできた。あんなにグランドが広いというのに、持久走になったら、校地の外壁に沿って走るんだ。ますます不安が大きくなったことをよく覚えている。
 この高校に受かったときは、それはずいぶんうれしかったのだけれど、結局、私は別の高校に進学した。この高校に入り、そのまま大学に進んでいたら、今の自分はずいぶん違っていたことだろう。この正月など、駅伝で大騒ぎしラグビーで悔しがっていたのだろうかと想像してみたりもするが、15歳の生意気盛りには、そういう人々の群れを嫌悪するような思いも芽生えていたのだった。いや、そんなことよりも、この学校に行っていたら、今の自分につながる出遇いのほとんどを経験できなかったわけで、今となってはそんな自分を想像することすらできない。
 さて、私が3年間を過ごした上野高校は、気がついてみれば、私が合格した4校の中でいちばんグランドの狭い学校であった。母校への思いは決して揺らぐことがないけれど、ただひとつ残念に思うのは、グランドがどんなに狭くても冬になれば体育の時間には持久走が課されたことだった。狭いグランドを何度も何度も回りながら、この走路があの学校の外周のように長い一本道であったなら、走るにつれて風景も変わり少しは気分も晴れたのではないかと思ったことだ。
 広い校地を恐れてみたり羨んでみたり、なんとも勝手なことではある。