せんばことば

 いとし・こいしの喜味こいしさんがお浄土に還られた。「君」と「僕」とが語り合う「しゃべくり漫才」の第一人者だったが、そのことばの品の良さは特筆すべきところがあった。いわゆる「船場ことば」に近く、松竹新喜劇で使われる大阪のことばと同じ系譜にあるものだったろう。
 ずいぶん前のことになるが、大阪教育大学附属高等学校の平野校舎で全国の附属学校の集会が開かれたとき、全体会の冒頭であいさつに立たれた当時の学長さんはそれは美しい大阪のことばを使われた。内容も、近松門左衛門や井原西鶴を背景に上方文化の伝統を立体的に語るもので、クラクラと酔うような思いでうかがったものだった。
 さらに前のことになるが、南海ホークスが大阪球場を離れるときに放送された「11PM OSAKA」の特別番組で、作家の藤本義一さんは、この球場の内野席から聞こえてくるものこそが「船場ことば」を源流とする大阪のことばだったということを力説されていた。1988年の秋のことだったろうか。国鉄や南海ではなく、地下鉄で来る人たちのことばだったのであろう。
 今や漫才のスタイルも大きく変わり、マスメディアにはいわゆる「関西弁」としてひとくくりにされるあやしいことばが氾濫している。生粋の大阪のことばは、もはや絶滅するときを待つばかりなのだろうか。幼い頃から大好きだった「いとこい」の漫才を懐かしみながら、そんなことを考えた。