「幟町」をどう読みますか

 例会明けの月曜日、呉に出て「古いレンガ通りのなつかしいアパートの/部屋を通りすがりに背伸びして見」てみようかとも思ったが、アストラムラインに乗り、毘沙門台の「小高い丘に建ってる」「赤い屋根の」喫茶店を訪ねてみた。毘沙門台の駅から徒歩15分ほど。ただし、その道のりのほとんどが上り坂。汗をかき息を切らしての到着となった。小さな喫茶店。大きな窓から見える空は黄砂のためか少しかすんでいたが、初めて見る景色なのに、どこか懐かしさを感じた。
 午後はひろしま美術館で「田園讃歌〜近代絵画に見る自然と人間」を鑑賞。山梨や千葉や埼玉といった、住まいに近い美術館の所蔵作品を広島の地でまとめて見ることのできる幸せを思った。
 まったく観光客的ではない行動パタン。街を歩く楽しみを久しぶりに味わえた一日だった。


 そうそう。街を歩くと言えば、気になるのは今回の広島での宿があった「広島市中区幟町」のことだ。「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの母校としても知られる幟町小学校・幟町中学校のある町だが、この町を「のぼりまち」と読むか「のぼりちょう」と読むかが揺れているのだ。
 幟町小学校の門柱には英語の校名表示があり、そこには「NOBORICHO ELEMENTARY SCHOOL」と書いてあるし、市の住居表示板には「のぼりちょう」のふりがなと「NOBORI-CHO」というローマ字表記がある。ところが、城南通りの女学院近くの交通信号機にはローマ字で「NOBORIMACHI ELEMENTARY SCHOOL」の表示があり、複数のマンションの表札にも「NOBORIMACHI」と書かれている。ちなみに、郵便局の郵便番号検索では「ノボリチョウ」、egbridgeでは「のぼりちょう」と入力すれば「幟町」と変換されるが「のぼりまち」ではダメだ。
 どうやら、行政は「のぼりちょう」と定めているのだが、市民は「のぼりまち」と呼び習わしているようにも思える。しかし、行政が建てたはずの信号機も「NOBORIMACHI」を使っているわけで、どうも統一されていない。土曜日に乗ったタクシーの運転手さんがたまたま幟町小学校の卒業生で「あれは『のぼりまち』です」と力説していたので、町の名前は「ちょう」だが小学校の名前は「まち」なのかなと思ったりもするのだが、小学校の表札は「NOBORICHO」を使っているのだ。話はぐるぐるまわる。
 学会の大先輩で広島大学出身の某先生は「あれは、昔から『のぼりまち』に決まっとるよ」とおっしゃっていたが、「いや、ようわからんのよ」という同大学出身の仲間もいたりして、実際、本当によくわからない。僕は正直言ってどちらでもかまわないのだが、なぜ、どのようにして2つの呼び方が並立するようになったのかを知りたいのだ。ま、本当にどうでもよいのだけれどね。