せんじっこのプライド
授業準備のかたわら、事務作業もボチボチと。なんとか大きな山は越えたのだが、昨日発送した「発表要旨集」にミスを見つけてしまい、ちょっとブルーに。なんとか修正する方法を考えたい。
昨日は、二中(足立区立第二中学校)と統合されて使われなくなってしまった十六中(足立区立第十六中学校)の校舎も訪ねてみた。北千住駅のすぐ近くにこんなに大きな建物をほったらかしにしておくなんて、何か裏があるのではと思ってしまう。校舎に描かれた校章は今でもくっきりと残っていて、卒業の記念に植えられたツツジは人を迎え入れることのなくなった玄関の脇で今年も静かに咲いている。
十六中の校章というのは、高校時代にOさんの着ていたジャンパースカートの胸と肩の間あたりに刺繍されていたものだ。僕らの高校には制服がなかったので、中学時代の制服をしばらく着ている人もいたのだった。Aさんもあの制服を着ていたわけか。ああ、またどうでもいいことを思い出してしまった。
十六中の校舎は放置されているが、二中の跡は東京未来大学になり、二中と十六中が統合されて生まれた千寿桜堤中学校は柳原小学校の跡地に置かれたとのこと*1。そう言えば、土手から見えた。だが、この話、個人的にはちょっと落ち着かない。柳原という町は、もともとは足立区ではなく葛飾区に属しており、柳原小学校も昭和4年に設置されたときは南葛飾郡の南綾瀬第二尋常小学校だった*2。その柳原という町に「千寿」の名を冠した中学校が置かれたことの気持ち悪さ。そんなことを感じる人はあまりいないかも知れないが。
落ち着かないと言えば、千寿小学校が千寿第二小学校と統合されて新しい千寿小学校となったとき、校舎は千寿第二小学校のものを改修して使うことになり、千寿小学校の跡には東京藝術大学の校舎が建ったのだが、これは気持ち悪くなるくらい落ち着かない。だって、千寿小学校が千住の町域を離れて千住宮元町に移り、千住(一丁目)に住んでいる子たちは通えなくなったのよ。そして、千住の子たちは千寿小学校ではなく、千寿第一小学校と千寿旭小学校が統合されて生まれた千寿本町小学校に行くことになったわけ*3。ほとんどの人にはどうでもいいことだと思うけれど、僕にはやっぱり気持ちが悪い。
おじいさん、お父さん、自分と、親子三代そろって千寿小学校の卒業生で、千住一丁目に在住という子の学級担任をしたことがある。保護者面談に来られたお母さんに「お母さまも千住のお生まれだそうですね」と生徒から聞いた話をもとに何気なく話しかけてみたのだが、そのお母さんは「いえいえ、私は宮元町ですから」とおっしゃった。宮元町だって千住だろうと思うけれど、それは他所ものの考えなのであって、千住っ子たちのプライドというのは僕等の想像をはるかに超えたところにある。この千寿小学校をめぐる一件については、いつかあの子と話してみたいものだと思う。