Miyada-Koiči

 授業の予定を変更し、11月24日付『朝日新聞』朝刊のオピニオン欄「異議あり」のインタビュー記事を読み合わせて意見を求めた。英語の文脈に日本語の名前を持ち込むときに《姓−名》の順とするか《名−姓》の順とするかがテーマなのだが、特段の意識を持って自分の方法を決めている者にとっては、このことが今問題になることの意味がわからない。学生にも数名見られたが、実は私もそのひとりである。
 授業では『教壇の英文法』で宮田幸一がこの問題をどう論じたかについても紹介した。冒頭で《姓−名》は国粋的な人々のすることと言い切っている点には当時の「限界」を感じるのだが、そのあとで、日本語の名前も英語の名前も対等であり、日本語の名前にも通常の順序を用いる権利があるとしている点は注目に値する。
 結論的に言えば、宮田は国際的に姓と名の順序を統一する必要があるとして《名−姓》を援護する。ただ、中国語や朝鮮語の名前では姓と名が入れ替わることが少ないことに触れ、その原因を「言語の特質」と結び付けて論じたうえで、日本語の柔軟性へと止揚させるあたりは『教壇の英文法』の真骨頂かとも思う。
 今日のタイトルは、宮田が加入していた「世界エスペラント協会」の1926年度の会員証に印刷されていた名前の表記。