明日ありと思うこころ

 成蹊高校の答案返却日。高1の2クラス。最後だからと、きちんと「起立、気をつけ、礼」をして別れた。成績と所見を提出し、これで3年間に渡る勤務は終わりとなる。
 成蹊にお世話いただいたとき、必ず訪ねて行こうと決めていた場所があった。大学時代、1年次に「一般語学科目」の1つを担当してくださったH先生こと原孝一郎先生の研究室だ。
 先生は成蹊大学の教授で、その頃はご自身の母校である東京外国語大学に非常勤講師として出講しておられた。T. S. Eliot などがご専門の英文学の方で、大学を卒業と同時に武蔵高等学校中学校の教員となり、教壇に立つかたわら母校の大学院に学び修士号を取得され、それを機に成蹊大学に本務を移されたとうかがっている。
 先生の授業は、専門とされる Eliot の詩論を読むというなかなかハードなものだったが、父が詩を書く人だったこともあって英詩にはなんとなく魅かれるものがあり、毎週楽しみに受けていた。
 ある日の授業で、先生が「弱強五歩格(iambic pentameter)」 に関して熱く語られたことをよく覚えている。《弱強/弱強/弱強/弱強/弱強》という1行を読むときに、決まりきった1つの《弱強》というパタンを繰り返してはいけない、「弱」と「強」はセットになっている1つの《弱強》の中の約束ごとなのであって、例えば最初の《弱強》の「強」が隣の《弱強》の「弱」よりも弱いことはありうるのだ、《弱強/弱強/弱強…》というものは、自然な読みのうちにそれが実現されるものなのだというような内容であった。《弱強》に1つのパタンを決めておかしなリズムで詩を朗読し、これが「弱強五歩格」だと言い張る研究者に出会ったのだとおっしゃっていた。よほど腹に据えかねていらしたのだろうと思う。
 「辞書は2刷を」という主義の先生は、英詩に関する英和辞典の記述はあてにならないということもたびたびおっしゃっていた。若林先生の編集された英語教科書に著者とは違う枠で原先生のお名前を見つけたことがあったが、詩に関する校閲のようなことをなさったのだとうかがった記憶がある。
 あるときなど、以前の授業で話題にされた引用句辞典のことをお尋ねしたら、一緒に「西ヶ原書店」まで付き合ってくださったこともあった。取っつきにくいという級友もあったが、僕はどういうわけかこの先生のことが好きだった。
 わずかに1年だけ、それも週に1回の授業でお世話になっただけではあったが、それ以上のことを教えてくださった先生であった。しばらく年賀状も交換させていただいていたが、いつしかそれも途絶えてしまったことを悔やんだりもしていた。
 成蹊高校にご縁をいただいたとき、最初に思い出したのは原先生のことだったし、以来、時間をみて必ず研究室をお訪ねしようとずっと思っていたのだった。最初の1年は自分も大学院に通っていたこともあって余裕がなかったのだが、時間のやりくりがつかなくなりそうになると、いつも原先生もこうやって修士課程を終えられたのだと言って自分を励ましていた。
 成蹊での2年目も終わろうとする冬(昨年の1月)、いよいよ今日うかがってみようと思っていたその日のこと、たまたま眺めた学園の広報物に見つけたのは次の1文で始まる記事だった。

 経済学部の原孝一郎特任教授は、2006年10月28日、肝臓癌のため逝去されました。 享年66歳でした。

 ああ。恩師にひとこと礼を言いに行こうというのに、それを不可能にするほどの忙しさが本当に僕にあったのだろうか。大切なことを後回しにして、とうとうかなわぬこととしてしまったことが申し訳なくてならない。

 明日ありと思うこころのあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは   親鸞聖人