粋がるということ

 マナーだとか、しきたりだとか、「世間の常識」と言われるものをクイズに仕立てて見せるテレビ番組が大はやりである。先日などは、半月のうちに3回も葬式のマナーとやらを教えていただいた。ああ、ありがたい、ありがたい。
 今日は、寿司を食べるとき、軍艦巻きに醤油をつけるときには「シャリ」を醤油で汚さぬよう「ガリ」にいったんつけた醤油を「ネタ」につけるとよいという話をしていた。実際、僕もそのようにしているし、内容には何も文句はないのだが、そのことば遣いが気になって仕方ない。
 「シャリ」も「ガリ」も「ネタ」もすべて寿司屋の符牒である。上品に常識的に生きようとしてマナーを云々する人が使うことばではない。そういう人は「酢飯を醤油で汚さぬよう、生姜にいったんつけた醤油を寿司種につける」と言う。
 よく耳にする「アガリ」も「ツメ」も「ムラサキ」も「オアイソ」も、どれもみんな符牒である。僕の知っている寿司屋では「アガリちょうだい」というとおかみさんに叱られる。叱ることもないと思うが、客には客の、店には店のことばがあるということである。「オアイソ」も店の側のことばなのであって、客は「お勘定」と言えばよい。「ごちそうさま」でも通じる。
 粋に暮らそうという人は粋がらない。粋がることは無粋の極みだからである。
 それでも、少しは心得ておきたいこともある。東京は神田や日本橋あたりの少々面倒くさそうな店で食事をするとき、仲居さんを呼ぶときに「すいません」と言ってはいけない。それでは足を止めてもらえない。そして、その仲居さんがどれほど年配の方でも「おばさん」とは呼んではいけない。そんな風に呼んだら気付いても無視されるのが落ちだ。
 そういう店で会計を頼むときには「おネエさん、お勘定、願います」これでよろしい。僕もようやくこんな言い方をしてもおかしくない年齢になってきた。