新たなテーマの提案

 確定申告をようやく終える。国税庁のウェブサイトにアクセスすると、申告書を作るのを助けてくれるページがあるので、以前に比べればずっと楽になった。ガイドにしたがってあれこれ入力すれば、全部自動で計算してくれて、申告書のPDFファイルまで作ってくれる。使い始めてもう何年も経つが、確かに便利ではある。それなのになかなか始めようとしないのは、要するに、気分が盛り上がらない種類の仕事だということか。
 来年はいよいよe-Taxに挑戦か?今年か来年のいずれか1回、最大5,000円を控除してくれるというが、これは住民基本台帳カードの発行手数料とカードリーダの代金分ということだな。住基カードってのはかなり抵抗があるのだが、このカードにしろTASPOにしろ、作れるものは何でも作ってしまえというやけっぱちな気分もないわけではない。
 ひと仕事終え、午後の刑事もの(警察もの)ドラマの再放送を見るともなしに見ていたら、気になるシーンに出くわしてしまった。この種のドラマは人が殺されないと物語が始まらないようなところがある*1ので、それだけお葬式のシーンも多いものだ。お葬式のシーンでは、たいてい、お寺の本堂の遠景、ご本尊を背景にご位牌、僧侶の後ろ姿などが映し出され、読経の声が聞こえてくる。今日もお決まりのパタンだった。しかし、明らかに真宗門徒の法名ではないものが書かれているご位牌を前に、木魚の置いてある本堂で、「正信偈」があげられているというのはどういうことだ。
 この手のことはよくある話で、キンが2回鳴ったあと「善導獨明佛正意…」と始まるのを聞いたこともあるし、でたらめと言えばあまりにでたらめなのである。ドラマを作る人にとっては、どんなものであっても知ったことではないのだろう。しかし、経文や偈文は、環境音楽でもなければBGMでもない。テレビのことだから目くじら立てなくてもと言われるかも知れないが、どうしても見過ごすわけにはいかないのである。
 テレビドラマにおける葬儀の表現に関する一考察。テレビが好きな人にお勧めする新たな研究テーマである。卒論レベルだったら、じゅうぶんおもしろいものになると思う。それにしても、今日見たドラマに映っていたお坊さんはホンモノだったのかしら。そして、あの声はそのお坊さんのものだったのかしら。そうでないことを願う。節のつけ方がうちの宗門のものではなかったことにホッとしていたりして、相当に偏狭なセクショナリズムを自覚してはいるのだが。

*1:だから、誰も殺されずに済んだ回の『相棒』は好きなのである。しかし、先週のように長々と引っ張って結局「夢落ち」ってのはアリか?