一人がため

 東京大空襲から63年。僕らは『ガラスのうさぎ』*1を読み、その映画*2も見た世代である。
 原作でも映画でも、印象深く描かれているシーンがある。
 戦時下、女の子用の肌着の配給が受けられなくなり、敏子は兄のお下がりのランニングシャツを着ていくように母親に言われる。12歳の少女には、それが悲しくてたまらない。せめてもと、花の刺繍をすることを思いついた。翌日、刺繍のついたシャツを学校に着て行くと、体操着に着替えるときに級友たちにみつかってしまう。「いいなあ」「私にも教えてね」という騒ぎを聞きつけて学級担任の女性教員が登場。「戦時下に華美な飾り物とは何ですか」と注意を受ける。敏子は無言で席に戻り、ハサミを取り出して刺繍の部分を切り取る。そして、目に涙をためたまま、その刺繍を教卓の上に差し出すのである。
 『ガラスのうさぎ』がベストセラーになった頃、この担任の先生がテレビに出演されたことがある。このときのことを尋ねられると、ご本人は、戦時下にあっても生活に潤いをもたらすよう工夫する姿勢を褒めたと記憶しているとのこと。小さいときのことだから思い違いをしているのではないかといった口ぶりであった。
 絶対、うそ。
 僕は事実を確認できる立場にないが、あえてこう断言したい。この先生は、こんなことなどすっかり忘れていて、ベストセラーになった本を読み、そうあったらよいと思う自分の姿を「記憶」として後から刻みつけたのではないか。戦中・戦後の30余年をかけた壮大なうその物語である。
 教員にとっては数あるエピソードの1つであっても、子どもにとっては生涯忘れることのできない重い事実となることはきわめて多い。先日受けたセミナーでも「教師の何気ないことばが学生には大きな影響を及ぼすのだ」との話を聞いたが、FDだ何だと言う前に、そんなことは当たり前のことではないのか。だいたい、自分にだってそういう思い出の1つや2つあるのではないか。


 今日の芸能ニュースでは、タレントの泰葉さんが倒れたことをずいぶん時間を割いて扱っていたが*3、彼女がなぜそこで20年ぶりの歌を披露し、なぜそれほどまでに緊張したのかという背景に踏み込んだものはどれほどあったのか。保坂三蔵氏と市田忠義氏が席を並べる「時忘れじの集い」の意義に言及したものはどれほどあったのか。

*1:高木敏子、1977、金の星社

*2:『東京大空襲_ガラスのうさぎ』1979、監督:橘祐典、主演:蝦名由紀子

*3:http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080310-333526.html