七百五十をめぐって

 2011年、私たちは親鸞聖人の七百五十回御遠忌を迎える。「七百五十」は「しちひゃくごじゅう」と読むが、一昨日のお寺の集まりで興味深い会話を耳にした。

 A:「七百五十」は「ななひゃくごじゅう」じゃなくって「しっちゃっくごじゅう」なんだってね。
 B: そうそう。「しっちゃくごじゅう」らしいよ。
 C: ほう。「しっちゃくごじゅう」かい。

 完全に東京のおじさんたちである。「しちひゃくごじゅう」ではなく「しっちゃくごじゅう」なのだ。そのことをおもしろく感じたのでみなさんに言ってみると、こんな質問を返された。

 A: ちょうどよかった。前から聞いてみたかったんだけど、この「しっちゃっくごじゅう」の「し」は「S-H-I」なの?「H-I」なの。

 最近あまり耳にすることのなかった東京のことばに、なんだかうれしくなってしまって、次のような話を披露させてもらった。

 あるとき、慶應義塾大学が英語名を定めようということで会議を開いた。「Keio Gijuku University」で決まりかけたのだが、池田弥三郎氏が、東京のことばでは「ju」ではなく「ji」であると発言し、しかも譲らなかったためにその後の会議は大混乱。結局、慶應義塾大学の英語名は「Keio University」にすることで落ち着いたと言う。

 東京の子たちは「じぎょう」が終わって学校から帰ると「じく」に通ったりしているわけだ。池田弥三郎氏は銀座の生まれで、泰明小学校から第一東京市立中学校を経て慶応義塾に入ったはず。バリバリの街の子だったのだと改めて思う。
 この池田弥三郎氏の話は何かで読んで知ったのだが、今となっては思い出せない。『朝日新聞』だったような気もするのだが、『朝日新聞』と言えば、東京の人が「ひ」と「し」の区別がつかないという例としてよく出される名前だ。けれど、東京の人は「あさししんぶん」などとは言わないはず。きっと「あさっしんぶん」だろうと思う。
 そう言えば、津田塾大学の英語名は「Tsuda College」だったが、これって津田梅子が東京の人だったことと関係があるのだろうか。