最後の授業

 1限は、ドーデの『最後の授業』を読んだうえで田中克彦の『ことばと国家』の一節を読む。母語と母国語、母語と国語、母語と国家語の問題を扱ったわけだ。英語の授業としてどうなのかと言われれば返すことばもないが、かろうじて「ことば」の授業としての成立を願ってのことだ。
 アルザス=ロレーヌに住む人の母語をフランス語でもなくドイツ語でもないと位置づけるところに「社会言語学者」としての田中の熱いまなざしが感じられる。アルザス=ロレーヌの言語問題をフランス語とドイツ語の対立におとしめてしまっては、まったく意味がないのである。
 さて、学生たちはどう思っただろう。英語ができるのは「よいこと」だろう。しかし「よいこと」とは果たして英語ができるということなのか。英文科の学生であればこそ、そんなことに気付きを得てもらいたい。何かが届いたならばありがたいことだ。
 そんな私の頭の中は『Royal Straight FLUSH!!』のライブCDがパワープレイの状態だ。何度聞いてもエトワールのたびに胸が熱くなる。おかしなことだと言われても、どうにもしようがないのである。