正信偈とともに還る

 所属寺でお通夜。お寺のために力を尽くされた方が次々にお浄土に還られる。ご住職が阿弥陀経をあげられたあと、全員で正信偈同朋奉讃式によるお勤め。続けてご法話をいただく。死なないと思って生きてはいないか。生死一如。このところ、お通夜やご葬儀にうかがうたびに思わせていただくことだ。
 ずいぶん前のことだが、ある方のご法事にうかがったときのことを思い出した。お他宗の流儀で勤められたのだが、お坊さんがお勤めに先立って「焼香の仕方を知らないだろう」と言って教えてくださった。合掌し、左手はそのままに右手でお香をつまむ。この片方だけ合掌の形に残しておくことを「片合掌」と言うのだそうだ。お焼香の回数は、仏・法・僧、それぞれのために1回ずつで合計3回。1回ずつ、目の高さまでおしいただいてするのだとか。
 私は、いつものように慣れた作法で2回、おしいただくこともせずにお焼香したけれど、ほとんどの方は教わった通りになさったものでずいぶん時間がかかり、読経のうちに全員のお焼香が終わらなかった。すると、今度は時間をかけすぎだと言って、そのお坊さんに叱られてしまった。お他宗のことでもあるし、作法や回数について特に何も言う気はないのだけれど、参列者を叱りつけることはなかっただろうと今でも思う。
 お経はお焼香のBGMではない。これは敬愛する我らが住職の今日のことばだ。みなさんがお焼香を済まされる間、満堂にして静粛な本堂で過ごした数分間は、今日のお通夜をより印象深いものにしてくれた。辛く悲しいお別れのうちに、いのちの事実を教えていただいたありがたさを思う。南無阿弥陀仏。