鍵の重さ

 国立に出向いて採点と成績処理。まずは英語の研究室を訪ね、この3月で退職される教授と海外研修担当の事務の方にあいさつする。何から何まで、本当にお世話になった。
 講師室で仕事を進め、4時には成績表を完成。どうにか提出することができた。あらためて教務の方にあいさつすると、課長さんまで出てきてくださって恐縮する。直接の担当としてずっとお世話くださったBさんのことばは重くて「先生、今日が最後なのね。ああ、何がどうしてこうなっちゃたのかしら」と。涙まで浮かべてくださって。
 気付けば5年半になる。中高の専任職を離れ大学院に通っているとき、まだ修士も修めていないのに現場での経験を買って採ってくださったのがこの大学だった。ずっとここにいられると思っていた。正式に研究室を割り当てていただいてという話も、浮かんでは消えということが3度も繰り返した。この春こそ「3度目の正直」かとも思ったが、実際は「2度あることは」の方だった。
 辞めてくれと言われたわけではないのだから、今のまましがみついていることもできないわけではなかった。けれど、わずかに90分の時間の差がすべてをひっくり返してしまうこともある。そして、さまざまの意味で「潮時」というものも感じさせられたのだった。
 僕のキーホルダーには、クルマの鍵と家の鍵、それにこの大学の講師室のロッカーの鍵と教室のAVラックの鍵がついていた。貸していただいていた2本の鍵をお礼とともにお返ししたあと、キーホルダーをいつものようにズボンの右のポケットに入れると明らかに重さが違う。この新しい重さに慣れるのは悲しいことか。いや、ここに新しい鍵をつけることを考えよう。その方がずっといいはず。