カラオケの社会性

 テレビで「カラオケ、歌詞を見ないで完璧に歌えたら200万円!」という番組を放送している。
 いわゆるカラオケボックスが流行り始めたのは1980年代の後半だったと思う。出始めのカラオケボックスは本当の「ボックス」で、電話ボックスよりも少し大きいくらいの箱の中にジュークボックスにモニター載せたようなカラオケ装置が備え付けられていて、そこに入った客は1曲100円ほどを投入し立ったままマイクを持って歌ったのである。客は3人も入れば満杯だっただろうか。今となれば何が楽しかったのか少々疑問だが、週末ともなれば友だちと連れ立って出かけて行きよく歌ったものだ。この話は教室で学生にしたこともあるが、まず理解してもらえない。だいたい、電話ボックスと言ってもピンと来ない学生もいるだから仕方のないことかも知れない。
 その頃、街角のカラオケと言えば酒やつまみを出す店で、LDやVHDではなく8トラックの機械を備えているところがまだまだ多かった。歌いたい曲を申し込むと、じきに名前が呼ばれる。呼ばれた客は歌本が載せられた譜面台の置いてある小さなステージに上がり、何組ものお客さんの前で歌う。8トラックのカラオケには映像などないから、自分で歌本を見て歌うのである。今でも、温泉場などに行くとそれに近いスタイルの店が残っていて妙な懐かしさを感じる。さすがに8トラックを使っているところはないが。
 今日、カラオケは閉じた空間である。好きなものどうしが小さな部屋を借り切り、他人には聞かれずに歌い続けるのである。しかし、その頃のカラオケには知らない(しかも年配の)お客さんが何組もいたのだから、無駄に重なることがないように選曲し、他のお客さんの歌に手拍子や拍手を送るのは当たり前のことだった。カラオケは相当に気を遣う空間だったわけだが、若い者が他のテーブルのお客さんが好みの古い歌を歌い、それが上手かったりすると、そのお客さんに一杯ご馳走してもらえることもあった。それに味をしめてムード歌謡などを歌えば、知らないおじさんとおばさんがフロアに出てきて踊り始めることもしばしばだった。カラオケには小さな社会があったのである。
 若い世代について、その社会性の欠如をうんぬんする人も多いが、カラオケやカラオケボックスの変遷との関連づけて論じてみたらおもしろいのではないだろうか。
 それにしても、電話ボックス、ジュークボックス、LD、VHD、8トラックと、若い人には理解不能だろうなあ。ムード歌謡ということばは、例の髭を生やした芸人のおかげで知っているという人も多いと思うが、彼の歌は本当のムード歌謡ではない。そのことについては、いずれまた日を改めて。