修正会:死もまた我等なり

 6時前に起き、所属寺の修正会へ。7時からお勤め、お屠蘇で新年を祝った後、住職の法話をうかがう。その後、お節とお雑煮をいただきながらみなさんと話を深め、法話と合わせて「喪中」について改めて考える機会を得た。
 かつては300枚ほどの年賀状を交換していた自分だったが、7年前の11月に父を亡くし、その暮れには「世間の常識」にしたがって喪中葉書を出したため、6年前の今頃は年賀状をほとんどいただかない淋しい正月を過ごすことになってしまっていた。「身内に死者を出した者は新年のあいさつを遠慮する」という「世間の常識」にしたがったまでだったが、どうも私の考えは「世間」とは少々ずれていて、「身内に死者を出した者には年賀状を出さない」というのが多くの人の「常識」だったようなのである。
 この年を境に、このような「常識」に支えられている年賀状に本質的な疑問を抱くようになり、くださった方に返礼をさせていただくにとどめるようになった。もちろんいただけばうれしいし、お世話になっている先生方から先に頂戴することも多く恐縮するばかりなのだが、年賀状というものを自分の中に位置付け直すまでは、どうもこの新しい習慣から抜け出せそうにない。
 そもそもは「身内に死者を出した者は新年のあいさつを遠慮する」という「世間の常識」に負けてしまったわけだが、この「常識」に根ざすものは《身内から死者を出した=穢れている》、もっと単純化すれば《死=穢れ》という図式である。これに対する嫌悪のようなものは真宗に触れる以前の自分の中にも確かに存在したのだが、その意識を自分の行動につなげていくという覚悟がまだまだ足りなかった。今となってはただただ悔やむばかりである。
 自分を含め、すべての命には限りがある。清沢満之は「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり」と言ったが、死を穢れとして遠ざけるのでなく、それをどのように見つめていけるのか。死によって無駄にならない自分の人生をどうしたら堂々と生きていけるか。敬愛する我が住職の「毎日が喪中」とのことばに動かされて、年頭にふさわしいことどもを考えてみた。
 なお、《穢れ》の意識を否定し克服する営みは、僕の聞法の歩みと重なっている。いつか、日を改めてそのことも書くことにしよう。