slate blue

 私の生まれ育った町にはたくさんの町工場があった*1。少し大きな工場の屋根はきまってスレート瓦で葺いてあって、そのくすんだ灰色には独特の存在感があった。そんな町にいつの間にか大学ができ、気がついたらそこで仕事をさせてもらえることになっていた。ここでの授業は今日が初日である。
 スレートの色は私の幼い日々を彩るものなのだが、スレートブルーという色のあることはあるシンガーソングライターの歌で知った。彼女は色の名の一部としてスレートということばを知り、自分のつくった歌にその名を付けた。歌詞の一節には「都会の片隅/途切れた夢をみる」とある。
 東京駅では赤煉瓦の駅舎の復原工事が続けられているが、戦後の修復の際に用いられた屋根瓦は宮城県の旧雄勝(おがつ)町*2や登米(とめ)市で産出された天然スレートなのだそうだ。今度の震災で次のようなことがあったと聞き、そのことを知った。
 宮城県の業者は、駅舎で使われていたスレート瓦を丁寧にはがしてすべて地元に持ち帰り、今後の使用に耐えうるものを選び出し洗浄して結束、東京に向けて出荷する直前で今度の津波の被害にあった。およそ2万枚は流され、残った4万5千枚も泥だらけになってしまったが、よく洗って塩分を取ればじゅうぶんに使えると業者は言っている。しかし、JR東日本と復原工事の施工会社は工期の遅れを気にし、これらのスレートを用いることはせずに新たにスペインに発注することにしたのだという。
 このことについて「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」では次のような要望書を出すという(書式はすべて左揃えとした)。

東京駅赤煉瓦駅舎の屋根のスレートについて


赤レンガの東京駅を愛する市民の会
事務局長 前野 まさる 


東日本旅客鉄道株式会社
社長 清野 智 様


拝啓 このたびの東日本大震災では、首都と被災地を結ぶ東日本の大動脈である東北新幹線および管内の鉄道網に甚大な被害を被りましたことに対し、心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧を願ってやみません。
さて、現在、復原修復工事が進められております東京駅赤煉瓦駅舎は、来春の竣工に向けて、工事が急ピッチで進められていると承知しております。復原される駅舎三階には、今回の東日本大震災で大きな被害のあった石巻市雄勝町や登米市産のスレートが使われるとのことで、地元の方々には復興のシンボルとして大きな希望を与えるものと確信をしておりました。
ところが、漏れ聞くところによりますと、結束して発送する直前だったスレートは津波被害で汚れたため、急遽、スペイン産のものを使うとのことを伺いました。汚れたとはいえ、今回最も被害が大きかった津波災害の中、地元の方々が自宅や工場が流出するのも顧みず、高台へ運んでくださったスレートで、戦後の修復の際に使われた登米産や雄勝産をなんとか伝えたいと守ったものです。日本の文化財修復では、建築の遺伝子をもつ当初材などを尊重するのが原則であり、以前の材料をできるだけ使うのは当然です。
何とか、登米産及び雄勝産のスレートを使い、文化財修復の基本を踏まえるとともに、東日本大震災の復興のシンボルとして、被災された方々が将来への希望をもてるようにしてください。
私ども、汚れたスレートは被災地復興のために、ボランティアを動員して洗浄したいと考えており、御社とともに東日本復興の力になりたいと思います。
是非とも再考をお願い申し上げます。

 がんばろうとか、つながろうとか、信じてるとか、いろいろなことばを聞くけれど、結局のところは効率優先ということなのかな。都会の真ん中で大きな夢が途切れようとしている。

*1:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20100104

*2:現在は石巻市の一部となっている。