ねがい

 京都市内での開催を予定していた会の理事会と研究会を中止にしたため、今日も寺へ行くことができた。受付で「維持費」をお預かりする仕事をしているが、震災の影響で家を空けられない親戚の代わりに届けに来たとおっしゃる方が何人もいらっしゃる。このようにして、お寺は人々の暮らしの中に位置づけられているのだと感じた。
 集金の効率のみを考えるのならば、銀行口座への振り込みや払い込みをお願いすることも、自動引き落としの手続きをとっていただくことも考えられる。しかし、年に一度であったとしてもお寺に足を運んでいただきたい。できれば、その回数を増やしていただきたい。そして、お墓ばかりでなく本堂にお参りいただき、法座に腰を落ちつけていただきたい。そんな願いがあればこそ、原始的とも思える通帳を用いたやりとりが意味を持つのである。
 帰宅後、中止した研究会の影で大切な仕事を「黙って」してくれていた仲間のいたことを知る。黙って仕事をする人は、最後まで無駄なことを口にしない。私たちの会も、この会を思う人々の大きな願いの上に成り立っている。