キリギリス

 夕刻、池袋へ。あの地震以来、地元を離れるのは初めてのことだ。いつものK君に誘ってもらい芝居を見に行くことにした。昨日「再開」された『南へ』は、野田地図(NODA-MAP)の第16回公演。作・演出:野田秀樹。
 この時期になんと不謹慎なという思いは自分の中にもある。被災地の方のことを思えば、さまざまのことを我慢したい。けれど、ずっと家にいて「報道」にさらされながら会務をこなし、「正論」という暴力にこころを弱くしてしまった自分には、このストレスをなんとかすることが必要だという思いもいよいよ募ってしまったのだった。報じられているような大規模停電が起きたら中止されるかもしれないし、帰りの足などなくなってしまうかもしれない。それでも見に行くことにした。
 開演前、節電のために暖房を切った客席に作・演出者の声が流れた。この芝居の上演を「再開」することについて率直に語ることばだった*1。ある意味、この段階で芝居は始まり、芝居は終わっていたのかもしれない。そのことばを受けて静まりかえる客席で、最初に拍手をしたのは隣に座る友人だった。私はそのことを誇らしく思った。そして「正しい」とか「間違っている」ということを超えてここへ来た自分を再認識した。
 芝居は、今回の震災と原発事故の最中であればこそ、大いに見る意味を感じるものだった。実に多層的な構成と展開は、こころが求める安直な着地点をみごとに裏切り続ける。終演直後は圧倒されてことばも出ず、家路を急ぐ人のためにと切り上げられたカーテンコールの後、作・演出者のことばにうながされるように、今回の災害に対する初めての募金をした。
 酒も飲まなかったし、電車で帰れる時間までではあったが、K君とは遅くまで語り合った。私たちにはことばをやりとりすることが必要だ。そして、それが伝わることばであり響き合うことばであったことに感謝したい。
 中学校の授業を担当していたとき、Pという教科書に載っている「アリとキリギリス」の物語が勤勉と怠惰の二項対立に終始していることが嫌でしかたなかった。キリギリスがバイオリンを弾いたり歌ったりできない世の中は、貧しく悲しく暗い世の中ではないか。こんな今だからこそ、キリギリスが自由に歌える世の中を再構築したいと願う。

*1:http://www.nodamap.com/site/news/206