ときを選ばぬもの

 在宅でわずかに会務を進める。テレビなど消してしまいたいが、原発の状況が気にもなる。
 被災地で新たないのちが生まれたとのニュースに触れる。生死はときを選ばない。栗原貞子さんの詩を思い出した。
 この連想は「不謹慎」と言われるのだろうか。自分でもわからない。いや、そうだと言われてもよい。ここに書き置く。


『生ましめんかな』


 こわれたビルディングの地下室の夜だった。
 原子爆弾の負傷者たちは
 ローソク1本ない暗い地下室を
 うずめて、いっぱいだった。
 生ぐさい血の匂い、死臭。
 汗くさい人いきれ、うめきごえ
 その中から不思議な声が聞こえて来た。
 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
 この地獄の底のような地下室で
 今、若い女が産気づいているのだ。


 マッチ1本ないくらがりで
 どうしたらいいのだろう
 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
 と言ったのは
 さっきまでうめいていた重傷者だ。
 かくてくらがりの地獄の底で
 新しい生命は生まれた。
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。


 生ましめんかな
 生ましめんかな
 己が命捨つとも

 この詩は1946年3月発行の『中国文化』が初出。広島市千田町の貯金局で実際にあった出産がモチーフとなっているという。
 夜、10時半に静岡を震源とする大きな地震。不安は続く。