ラジオには歌が流れる

 私のように、灯りがあって、寝床があって、水があって、温かい食べ物があって、風呂にも入れるような者がこういうことを言ってはならないのだとは思う。現地の人たちは私の想像を超えたもっともっとたいへんな思いをされているのだと思う。
 けれど、私はここにいて、テレビから流されてくる痛ましい映像と乾いたことばにずっとさらされていて、こころが少しずつ固まってしまったのだ。災害の事実も、被災された方のご苦労も、地震と津波のメカニズムも、原子炉の構造も、「輪番停電」のスケジュールも、みんな知っておく「必要」がある。それはわかっているつもりなのだが、こころがどうにもならない。
 ラジオにスイッチを入れて、はじめてそのことに気付いた。音楽が流れているのだ。あたたかいことばとともに、うたが聞こえてくるのだ。
 10時過ぎのTBSで流れていた「Country Road」は、中学校の英語クラブでT先生が教えてくれた歌だったが、そんな「忘れていたこと」を思い出した。午後のTFMで流れていた「上を向いて歩こう」を聞いていたら涙がこぼれてきて、どういうわけだか「アンパンマンのマーチ」で止まらなくなってしまった。
 現地で被災されている人たちにも、もしかしたらこういうものが必要なのではないかと感じる。心のケアなどという知ったらしいことばがそろそろ幅をきかせてくる頃だと思うが、大切なのは《学問》や《方法》のことばではなく、現地の人々を救うのは断じて《カタカナの職業》の人ではないはずだ。ずっと「必要」なものにさらされて「不必要」なものに出会ったとき、そのことを痛いように感じた。