夜を迎える

 家にいる母はどうしているだろう。クルマで家まで帰ることができるだろうか。その程度の心配しかせずに帰宅した私だったが、そのときはまだ今度の地震がどのようなものなのか想像することもできなかったのだ。
 帰宅して母の無事を確認。部屋に散乱した本を片付け、倒れていたパソコンのディスプレイを戻す。私の「被害」と言えばその程度だった。
 テレビを通じて、各地の被災状況を知るにつれ、今度の地震や津波の被害が尋常なものではないということがわかってきた。私の想像などやすやすと超えてしまった事実の重みに、文字通りことばを失う。
 夜になって伝えられて来たのは原発の問題。「政府」や「関係者」の「発表」と、それを受けた「マスメディア」の「報道」に触れ、この国の抱えている大きな問題がいよいよあぶり出されようとしていることに戦慄すら覚える。
 地震の前と後では、時間の進み方がまるで違ってしまったようだ。あっという間に日付がかわり、24時間が過ぎ、災害の二日目も終わろうとしている。
 被災し眠れぬ夜を過ごす人々。夜を徹して救出・救援を続ける人々。夜を迎えることもかなわなくなってしまった人々。さまざまの人々を思うと、私も「評論家」であってはいけないと思う。