専門家

 小沢牧子著『「こころの専門家」はいらない』(2002年、洋泉社)をようやく入手し即日読了。カウンセリングをはじめとする諸問題に関する積年の疑問、というかモヤモヤした思いに明確な答えを得た。人間存在が関係性の上に成り立っていることを今一度思い起こさせてもらいながら、7年も読まずにいたことを恥ずかしくもったいなく思う。
 16時からは西落合で家庭教師。結局宿題は終わらなかったのだが、本人が涼しい顔なのがちょっと不思議。


 明石小学校の校舎解体問題では、読売新聞に《「重文相当」明石小なぜ解体/区「仮校舎が長期間に」 識者「地域の宝、消える」》の見出しで長い記事が。一部を以下に引用。

■半年でも登録
 「もっと早く要望があれば、再考できたかもしれない」。先月26日の記者会見で矢田美英区長は、こんな言葉で再考の余地はないと強調した。
 区が例に挙げるのは、昭和初期に建てられた「明治生命館」(千代田区)。同ビルが重文に指定されるまで7年かかった点を挙げ、「重文指定に何年かかるかわからず、長期間、プレハブ仮校舎での勉学を強いられる」と説明した。
 区は、2年後の開校を目指し、のべ床面積が2倍となる新校舎の建築工事を発注済み。児童らは今月から仮校舎での授業を始めた。
 だが、元文化庁長官で神奈川県立外語短大の川村恒明名誉教授(文化財保護政策)は、「短期間で認められる登録文化財となった後で、重文指定に向けた調査や保存管理計画の策定に取り組んでも良かったはず」と区の対応を疑問視する。
 この「文化財登録制度」は、評価が定まらないまま壊される文化財を保護するため1996年に創設された。早ければ申請から半年で登録され、保存にかかる費用が一部補助される。

 昨日も書いたが、まず「重文だから守る」という発想そのものをひっくり返さなければならないと思う。その上で、区が明石小学校の校舎に文化財に相当する価値を見出せずにいたことの問題を指摘しておきたい。
 中央区の文化財保護審議会が9月1日付けで区長に提出した「明石小学校をはじめとする復興小学校の保存・活用に関する要望書」の全文を読む。その最後には以下のようにある。

 中央区には復興小学校だけでなく、震災復興に関わる建造物、史跡、名勝、文書、歴史資料などの多くの貴重な文化財が残されており、また、千代田区・中央区・文京区・港区・新宿区の「帝都復興の遺産」は「美しい日本の歴史的風土100選」のなかにも選ばれています。今回の明石小学校をはじめとする復興小学校の改築問題を契機に、こうした区内の震災復興に関わる文化財の総合的な調査を実施し、その適切な保存・活用に関わる方針を立てることも提言いたします。

 美しい日本の歴史的風土100選は「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」の施行40周年を記念し、2007年1月に財団法人古都保存財団等からなる「美しい日本の歴史的風土100選実行委員会」によって選定されたもの。
 明石小学校の校舎もそのひとつと位置づけられる「帝都復興の遺産」について、北海道大学大学院教授の越澤明氏が、ニューズレター「新時代」第64号(2007年12月)所収の「首都復興計画の歴史に学ぶ−生誕150周年:後藤新平の業績を振り返る」で以下のように述べている。

 1930年代前半、東京は帝都復興事業により道路、公園が美しく整備され、東京は美しい都市として甦り、良好な民間建築が随所で建てられた。しかし、今日、帝都復興の遺産は世の中では認識されていない。その理由は行幸通り、昭和通りなどメインストリートの街路樹、植樹帯が戦後、撤去され、隅田公園、浜町公園は首都高が貫通し、公園自体も改修され、完成当初の美しい姿が失われてしまったからである。
 内務省が事業をした幹線道路、大橋梁、大公園は完成後、東京市に移管された。戦後さらに東京都から特別区にかなり多くの道路、公園、公共建築が移管されたが、自ら苦労して帝都復興事業を推進した訳ではない特別区には、帝都復興の遺産の価値を十分認識していない例も出てくる。例えば、帝都復興の姿を唯一残す元町公園と復興小学校については、保存活用ではなく、元町公園の廃止が提案された。これは都市の歴史と文化を尊重しない弊害、負の側面といえる。

 このうちの「自ら苦労して帝都復興事業を推進した訳ではない特別区には、帝都復興の遺産の価値を十分認識していない例も出てくる」という部分は、まさに現在の中央区の状況を言い当てており興味深い。こういうことについては「専門家」の話を聞いておいた方がよいとつくづく思う。
 実は、117もあった「復興小学校」はその9割以上がすでに取り壊されてしまっている。その意味では、中央区は「遅れ」を取ってしまったわけだ。けれど、この「遅れ」は「帝都復興の遺産」を守るにはまことに好都合だったと考えたい。この際、中央区は胸を張ってその保存と活用に力を尽くすべきである。