表現主義の秀作

 なかなか起きられず、ずいぶん遅れて所属寺に。パソコンを持ち込み、レコーダから昨日の法話を録音したファイルを取り出して住職に渡す。作業をしながら、ビアガーデンの準備のために出られなかった昨日の「語らいの時間」の模様を聴いたが、時間をおいたからだろうか、その場を離れているからだろうか、ひどく苛立つ思いがした。住職には法事を控えて慌ただしい中、時間を取っていただき感謝。帰ろうとすると、玄関先でお線香を求めている人たちに声をかけられた。親戚が父の墓参に来てくれていたのだ。お礼を言って一緒にお参りする。
 中央区立明石小学校の校舎が保存を望む声をよそに取り壊されようとしていることを、テレビの「噂の東京マガジン」で知る。関東大震災後の「復興小学校」として大正15年に建てられた校舎は「表現主義」の影響が見て取れる建造物で、その評価も高いという。日本建築学会は、この校舎が「国指定の重要文化財建造物としてその価値を後世に伝えていくべき高い価値を有した建物であると位置づけられる」として中央区に保存を求める書面を送ったそうだが、それも無視されるようだ。同じものも、それ以上のものも、壊してしまったあとでは絶対に建てられない。なぜならば、震災で荒れ果てたふるさとに立ち上がろうとする思いも、もう一度同じ地震があったとしても子どもたちの生命と安全を何としても守ろうという願いも、今となってはもはや存在しないからだ。それだというのに、行政の何と愚かなことだろう。私にも何かできることはないだろうか。