信心の内実

 所属寺で真夏の法話会とビアガーデン。いただいた法話では、お星さまになるということと浄土に生まれかわるということの決定的な違いはどこにあるのか、生きながらに浄土を得るということはあり得ないのか、ほら解決したでしょうと言われて解決してしまう人生の問題とはどのようなものか、あれこれのことを考えさせられた。
 いくら理屈ではないと言われても、理屈抜きには生きられない身である以上は、信心の内実が説明されることを求めてしまう。頭で聴くなとはよく言われることだが、信じろと言われてただ信じるということは本当に身体で聴くということなのだろうか。
 ビアガーデンは今年も賑やかに。何だろう。いくらか記憶が飛んでいるぞ。迷惑をかけたのではないかとひどく心配になる。