Fear is often worse than the danger itself.

 昼、高校時代の友人に会う。3年ぶりか4年ぶりか、ずいぶん久しぶりのことだ。この1年をかけて認定カウンセラーの資格を得たのだという。
 実は、会ったらカウンセリングのモニターになってくれないかとのメールをもらい、どうしたものかとずいぶん悩んだ。けれど、30年来の友人に会いたい気持ちの方が強かった。モニターの件で悩んでいることの一端は別の高校時代の友人にメールで伝えたが、実に的を射た返答をもらったことも私の心を強くしてくれていた。
 先年お浄土に還られたお父さまのことやら、娘さんの受験のことやら、ひと通りの世間話をしてこの数年間を埋めたあと、いよいよ「本題」に近付く。ここはいい加減にごまかすよりも自分の考えをきちんと伝えようと思い、私が出会ったカウンセラーにどんな人がいたか、そして私がカウンセリングというものをどう考えるようになったのか、ありのままを話すことにした。
 案ずるより産むが易しと言うけれど、そうしてよかったと思う。友人は、友人自身の中にあるカウンセリングそのものへの疑問と、これまでに出会ったカウンセラーに対する不信感を率直に語ってくれた。私たちはそれらの多くの部分で一致をみた。しかし、それよりも悩みや不安を抱えながらこの道に踏み出そうとしていることに友人の誠実さが感じられてうれしかった。
 友人の目指すものを私がよく理解するには、残念ながらもう少しの時間を必要としたようだ。けれど、友人は私が生活の中に「心を開く場」を得ていることを喜んでくれた。ひとりのカウンセラーとして、古くからの友人として。
 私の周りにはカウンセラーになった人やなろうとする人が多い。それがどうしてなのかはわからない。ただひとつ言えることがあるとすれば、すべてを一括りにしてはいけないということだろうか。