あんころ

 朝、生田に成績票を届ける。いつものように移動できると思って家を出たのだが、首都高も東名道も大混雑だった。夏休みの土曜日をナメてはいけない。
 いったん帰宅ののち、足立区は東伊興の寺町に出向いて「いのちのふれあいゼミナール」に参加。講師には松任から春秋賛先生をお迎えした。
 いつものことではあるが、法話はひとりで聞いて飲み込んでしまってはいけないのだと感じさせられた。私たちの内なる「分別」が《本当のこと》に気付かせていただく「よすが」となるように、自分のアンテナを四方八方に拡げておきたいものだと思う。
 仏滅に生まれた子どもは不幸なのかと大見得を切った自分の頭が、仏法に照らせば生まれたことそのものが不幸であろうという答えに触れて、じっと下がったままになる。ひっくり返ったときに立っているのは、いつも新たな地平である。