線香を贈る

 金曜日の出講先もまだ授業が始まらないので、たまっていた会務をいくつか片付けることができた。午後には浅草に出て、お念珠の修理を頼むとともにお線香を買ってきた。
 この3月に中学の同級生のお父さまが還浄されたとの知らせを受けたのは4月に入ってからだった。明後日の日曜日、同級生の何人かで連れ立ってお線香をあげさせてもらいに行くことにしたのだが、御香資も包むけれどお線香をお贈りしようと思ったのだ。
 最近、知り合いのお身内にお浄土に還られた方があるときには、できるだけお線香をお贈りするようにしている。線香をただ煙く臭いものと思っている人は多く、かつての自分もそうだったのだが、父が亡くなったときに何人もの方からお線香をいただき、よいお線香がどれほど芳しいかを知ったのだ。このことを他の方にもわかっていただきたいと思う。
 線香にもいろいろあるが、思い出すのは「消臭線香」なるもの。いつだったか親戚が3箱もくれたのだが、気持ちはありがたいけれど、それはひどいものだった。火をつけると、殺虫剤のような臭いがして目がチカチカしてくるのである。これをお内仏で使うのは絶対に嫌だと言って、結局はトイレに持ち込んで本当に消臭用に使うことにしてしまった。思い出した。3箱というのはちょっと違う。やっとのことで1箱をトイレで消費し終えようというときに、また2箱もらってしまったのだった。いただいておいて失礼極まりないが、親戚のことなので勘弁してもらおう。
 そう言えば、私たちは1本の線香を2つか3つに折って火をつけたあと香炉に寝かすのだが、この作法は大好き。何人もでお参りして次々に香炉に線香を立てていくと、おしまいの方の人は立てるところがなくなってしまう。無理に押し込もうとするとすでに立てられている線香の火が指について火傷をする。そんな経験をしたことのある人は結構いると思うのだ。
 私たちの作法は、理にかなっている上に人に優しい。線香は寝かせてもよいどころか、寝かせた方がよい。線香の煙がまっすぐ上ればよいことがあるなどと言って立てることにこだわる人もいるようだが、ふつう、空気が動いていなければ煙はまっすぐに上るというものだ。門徒もの忌み嫌わず。私たちの誇りである。