地域と学校

 吉祥寺の高校へ。本当は木曜日の出講先は高尾なのだが、まだ授業が始まらないので、うまい具合に吉祥寺の教務ガイダンスに出ることができた。高校の現場は2年ぶり。中間テストとか学級委員とか生徒手帳とか、なんだか懐かしくてワクワクしてきた。
 帰ると、夕方のテレビでは鹿児島の小学校で屋上の明かり取りを破って子どもが落ちたとのニュース*1。2年前の6月、東京・杉並の小学校で同様の事故があり子どもが亡くなったことを思い出した。
 子どもが明かり取りに乗って遊ばなければこんな事故は起きないし、その場で教員によって適切な注意がなされていればこんな事故の起きるはずはなかった。それはそうなのだが、杉並の事故を受けて文部科学省から指導されたはずの安全策がこの学校ではきちんと講じられていなかった疑いが強いわけで、そうなると学校や自治体の責任は極めて重いということになる。
 テレビのニュースでは、学校や自治体の関係者が「屋上には上がらないことになっていた」とか「屋上に上がるとは聞いていない」などと言っているけれど、それはまるで話が違う。杉並の事故の際に書いたこと*2を思い出す。

 屋上を教育活動のためには用いないという学校の方針についても、その方針にもとづけば明かり取りにも屋上の縁にも柵を必要としないという理屈も、行政の人ならばきっとそう言うだろうなという意味で理解はできる。
 しかし、そこで考えてしまうのである。地震や火災や水害といった万一の災害の際に、子どもたちを屋上に上げるという可能性を考えなかったのだろうかと。平常の心持ちとは違った状態で大勢の子どもたちが屋上に上がるという万分の一の可能性を考えたならば、明かり取りにも屋上の縁にも柵をつけておく必要があったのではないか。

 学校が万一の災害時に防災の拠点ともなり得るならば、その学校の生徒・児童以外に町の人々が屋上にあがることだってあるはず。安全のための知恵や金を惜しんではならない。どこでもかしこでも「地域と学校の連携」などという格好のよいことはいくらでも言うのだ。けれど、そのことを本気で考えている人々など、ほんの一握りに過ぎないのではと思ってしまう。
 この先、同じ事故の二度と起こらないことを願う。

*1:http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2010040800355

*2:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080621