揺れる思い

 中野の学校に勤めている頃、顧問を引き受けたクラブの生徒たちと一緒に学園祭の開会行事で寸劇を演じたことがある。舞台を降りると、英語担当で演劇部顧問の先輩から立ち姿を賞められた。身体から無駄な力が抜けていて、次にどのような動きをするとしても対応できる形ができているのだそうだ。そんなことを言われるのは初めてだったこともあり、ずいぶん照れくさい思いがしたことを覚えている。
 けれど、そのときも私はきっと相当に緊張しながら舞台に立っていた。人前に立つ以上緊張はつきものであり、緊張を欠くようなことがあってはかえってうまく行かない。緊張が表現を阻害すると考えるのが間違いなのであって、緊張のうちに表現することが可能だと考えるべきなのだ。
 ただ私の場合は、過度に緊張すると身体が左右に揺れる。むやみやたらと揺れるのである。そのような状態の私をカメラに収めるのは至難の業であって、そのことでは各方面にいつも迷惑をかけている。ぎゅうぎゅうとマイクを絞るように両手で握り、身体を左右に揺らし始めたら、緊張はもはやピークに達しようとしている。しかし、そのような状態にあっても、口ではバカバカしいことを言って笑わせようとし続けているのである。
 水鳥を見るとき、人は水面の下のことは思わないものである。