楓よ 楓の鳥居坂 我が学び舎

 昨日、一ヶ月遅れで手にした雑誌『東京人』第267号(2009年5月号)の特集は「模型」。東洋英和女学院が鳥居坂の校舎を建て替えるとき、当時の高等部長(他校では校長にあたる方か)の呼びかけによって旧校舎の模型が作られたとの話に感激する。
 かつて勤めていた渋谷の学校にも相当の歴史があったが、今の校舎に建て替えるときに旧校舎の記憶をどれほどとどめようとしたのだろうか。歴史、歴史と言い続けていた自分だが、アルバムひとつ目にしなかったような気がする。ましてや校舎の模型など。
 古いものを残すことだけに意味があるわけではなく、時代の移り変わりの中で新しいものが必要になることも当然ある。問題にしたいのは、もういらないからといって古いものを投げるように捨ててしまってよいものだろうかということだ。以前も書いたが*1、東洋英和の新校舎は最新の設備でありながら、鳥居坂に面する部分には旧校舎のファサードを巧みに残したのである。
 校塔に鳩多き日や卒業す。いささか季節外れだが、草田男の有名な句だ。校舎の思い出は、世代を超えたすべての卒業生の共通の思い出である。それを見事に投げて捨ててしまった学校のことを、悲しみとともに思い出してみたりする。
 

*1:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080701/1214924304