なぜ日本語を使わないのか

 昨日の朝、成田空港で着陸に失敗したFedexの貨物機のニュースは衝撃的だったが、その会社の副社長という日本語の名前を持った人物が、記者会見と称して英語の声明を読みあげていたのには、別の意味で驚いた。
 積み荷に可燃性の液体が含まれていたというのに詳細は調査中でわからないと言ってみたり、不幸にして亡くなられた操縦スタッフのプロフィールは言えないと言ってみたり、とにかくそんなでたらめな対応なのである。何を積んでいるかわからない貨物機などあるだろうか。操縦スタッフの履歴を明らかにしない理由などあるのだろうか。
 これが日本語だったら、報道陣はあの程度の追及では済まさなかったのではないか。英語しか使わず、いったい誰に向かって話していたのかもわからない企業の責任者。日本語で話すことを求めるという当然の主張すらしないマスメディア。まったく苛立たしいことこの上ない。
 大学時代、酔っぱらって校舎のガラスを割ってしまい、「日系三世のフィリピン人だ」と言い張って、英語しか使わずに切り抜けようとした愚かな後輩がいたが、そいつのことを思い出してしまった。私もせいぜい英語を勉強して、しらばっくれたり言い逃れたりするために活用してみようか。陣内君も英語の声明を読みあげたらよかったという話なのか。