Made in Occupied Japan

 所用あって浅草の近くまで。東京は「開花宣言」が出たとのことだが、大川の堤の桜はまだつぼみか。うっすらと赤く霞んだような枝々の様子もまた美しい。
 夜になり、ある通信で「Made in Occupied Japan」という「表示」をご存じないとおっしゃる「団塊の世代」の方からの真剣な問い合わせを読み愕然とする。
 このことばを知ったのは中学生のとき、亡くなった父が若い頃に書いた詩の一節に出てきたのを読んだときだった。それは、あの戦争のために自由な未来を描くことを許されなかった英学徒の心の叫びであり、屈辱の歴史の中に放り込まれた詩人の魂の声であった。
 Made in Occupied Japan。どの学校にいたときも、教科書に「made in 〜」と「occupy」が出てきたときには必ずこの話をした。生徒たちが理解できたかは心もとないし、記憶しているかとなるとまるで自信がない。けれど、そうしないではいられなかった。そうすることが自分の「責任」だと思っていた。