念仏者、唯物者を思う

 一日遅れだが、昨日3月5日は「山宣」こと山本宣治の命日だった。宇治市内にある山本家の墓前では今年も「墓前祭」が行われ、300人以上が参加したという。
 今年はちょうど山宣の没後80年に当たる。治安維持法を死刑を含む悪法へと強化しようとする動きに抵抗し続け、ついには右翼の凶刃に倒れた彼の人生は、まさに「孤塁を守る」ものであった。
 山宣を育て労農党の代議士として送り出したのが京都ならば、キリスト教に基づく私学を開きたいという新島襄の願いを受け入れたのも京都だった。そして、京都はまた、私たちの護持すべき本山を擁する地でもある。これらのすべてが矛盾なく溶けあっているところに、この街の奥深さを見る思いがする。