外国語を学ぶ気分

 昨日の月例会で学んだこと。
 中国語学科の人気が下がっているのだそうだ。一時期、外国語教育の関係者の中でも特にグローバライゼーションなどということばを使うのが好きな人々が、これからは「アジアの言語ですよ」と言って中国語を学ぶことを勧めたりしており*1、アメリカでは実際に中国語を学ぶ人々が増えているとのことだが、日本の事情はそう単純なものではないようだ。
 いわゆる経済界の人々は中国に市場としての価値を認めるから中国語の使える人間を戦力として求めるが、市民感情としての反中国意識というものはどうにもならず、結果として私たちの国では中国語を学ぼうとする人が減っているのだという。なるほどねえとは思うが、なんだかなあとも思ってしまう。外国語教育というものは、結局のところ、こういうわけのわからぬ「気分」のようなものに振り回され続けているわけだ。
 外国語教育に関わる者として、何か「ぶれないもの」とか「寄って立つところ」を持っていないと、生涯振り回され続けることになる。もっとも、振り回されていることを知ってか知らずか、うまく時流に乗ってステップアップしていく人たちも少なからず存在する。私はと言えば、歴史などというものをひもときながら、ここでぐずぐずと暮らしている。

*1:1月31日にも書きました。→ http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080131