小磯良平が描いた少女たち

 ほんの少しタイミングを逸した感のある話ではあるが、小磯良平の「日本髪の娘」という作品が大韓民国で見つかったのだそうだ。時事通信は以下のように報じている。

「日本髪の娘」韓国で見つかる=幻の小磯良平作品


 【ソウル14日時事】韓国国立中央博物館が所蔵する美術品の中から、昭和の代表的な洋画家、小磯良平(1903〜88)の作品で、長らく行方が分からなくなっていた「日本髪の娘」が見つかった。同館は18日から開かれる「日本近代西洋画」展で戦後、初めて公開する。
 「日本髪の娘」は35年の作品。着物の女性がいすに座った姿を描いており、同博物館によると、小磯作品の中でも完成度が高い。同博物館の前身、李王家美術館が33年から45年まで収集した作品の中に含まれていた。(2008/11/14-11:28)


http://www.jiji.com/jc/zc?k=200811/2008111400342

 群像を数多く描いた小磯と戦争画の関わりについてNHKの「新日曜美術館」で取り上げたのは昨年(2007年)の夏だった*1。滅多に見ないNHK教育にチャンネルを合わせたら、ちょうどその番組を放送していたのだった。旅に出てたまたま寄った古本屋で掘り出し物を見つけてしまうのに似て、この時もテレビが僕を呼んでくれていたのだろう。
 この番組で中心的に取り上げられていたのは「斉唱」という作品だった。この絵に描かれているのは神戸の松蔭高等女学校(現在の松蔭中学校・高等学校)の生徒たちである。小磯は、松蔭洋画同好会の講師をつとめており、文芸部の機関誌の表紙も担当するなど、この学校の生徒を数多く描いたのだった。
 部外の人の目に触れることのないそれらの絵の中で、現在も見ることができるのは松蔭が校歌を制定したときに楽譜の表紙として小磯が描いたものである。松蔭中学校・高等学校のウェブサイト*2を訪ねてみると、ホームページ(トップページ)に楽譜を手に歌う制服姿の少女たちを描いた絵が掲げられている。
 私が所属している外国語教育に関する研究団体で長く事務室をあずかっておられたFさんは、この学校のご出身だった。時折、事務室を訪ねては仕事のじゃまをしていろいろなことをうかがったが、「松蔭の校歌の表紙は小磯先生が描いてくださったのよ」とおっしゃることばに、今や史料と呼ぶべきものを現実のものとして手にされた方があったのだという事実に静かな感動を覚えたものだった。
 この校歌は、1939(昭和14)年に卒業生が記念のしるしに学校に贈ったものだ。ウェブサイトを訪ねて小磯の絵の「校歌」という文字の部分をクリックすると、別のウィンドウが開いて美しい歌声が流れてくるしかけになっている。作詞は名校長として知られた浅野勇、作曲は山田耕筰である。

*1:http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0715/index.html

*2:http://www.shoin-jhs.ac.jp/