恩波の上にただよう小船

 山梨を後に、東京・三田のお寺の報恩講へ。うかがったことのなかったタイプのご法話にずいぶん戸惑う。というよりも、途中から聞けなくなってしまったのだと思う。
 果たして、自分は不勉強である、勉強が足りないと何度おっしゃったろうか。そして、それにどのような意味があったのだろうか。本当に勉強していない人の話ならあまり聞きたいと思わないし、たとい謙遜のことばであったとしても、あれほど連発されたのでは嫌味にすら聞こえてしまう。
 特に、ご自分の大切な方が批判にさらされているということを語られるとき、その方の書かれたものを全部読んだわけではないが、きっとこうだと思うという言い方をなさるならば、それはその大切な方のことを本当に大切に思っていらっしゃるのかを疑わせるものでしかないと感じた。自分は、その方の書かれたものを可能な限り読んでみた。どのような批判があるのかもよく分析してみた。その上で自分にはこう思われるのだと言うのでなければ、それはまったくの無責任というものではないか。
 私自身のことを顧みれば、私の恩師というのは実に敵の多い人で、常に批判にさらされている人だった。それらの批判のうちには、まったくの見当外れというものもあったが、謙虚に耳を傾けるべきものもあった。恩師の言動であったとしても、それが誤りであったのならば、塗りつぶしたりもみ消したりしてはならないと思う。なぜならば、それらのすべてをひっくるめて恩師として尊敬しているのだから。
 ご自分の大切な方は、見えるものも、見えないものも、得手のものも、不得手のものも、過去のものも、未来のものも、一切のものがご恩であると教えてくださったのではなかったのか。ならば、その方が誤ったという事実だって大切なご恩なのではないだろうか。