先生のつうしんぼ

 授業評価が大流行である。今日も3つのクラスでアンケートを実施した。大学によっては、配布も回収もボランティアの学生が担当し、教員はその場にいることさえ許されないことになっているが、そういうことの一切を教員が担わなければならないところもある。学生たちは、評価の対象を目の前にして、どんな気分で調査用紙に記入するのだろう。
 アンケートの時期になると去年のことを思い出す。調査用紙を回収して整理するとき、ついその中身に目が行ってしまうのだが、ひどく辛辣なことばを連ねている用紙が1枚あることに気が付いた。50枚のうち49枚によい評価が記されていても、わずか1枚に厳しいことが書かれていれば、どうしてもそれが気になってしまう。実際、多くの学生の評価は高く、自由記入欄に書かれているコメントも、「説明がわかりやすい」とか「板書が読みやすい」など、ある程度似通ったものだったのだが、問題の1枚に書かれていたのは相当にショッキングな内容で、その場で退職願を書こうかというくらいの気分になったものだ。
 年度末になると、統計処理を済ませた調査用紙が担当部局から送られてくる。授業の担当者はそれを読んでコメントを返すわけだが、昨年は実に奇妙なことが起こった。封筒の中をどう探しても、例の辛辣な1枚が見つからなかったのだ。いったいどういうことだろうと、考えられるすべてのことを考えてみたが、もちろん答えは出ない。すべてはまさに闇の中である。
 学生と授業担当者との関わり合いの上に成り立つアンケートというものに、第三者(あるいは権力と呼ぶべきもの)が介入してきた段階で、この取り組みは大きく変質してしまっている。今の大学の抱える大きく根深い問題の一つがそこにあると思う。


 今日のタイトルは、小学校の頃に読んだ本の題名。宮川ひろの作品で、映画化もされた。学校で切符を買って、北千住の「ミリオン座」か大師前の「西新井カンコウ」まで見に行ったような気がする。