海からの風に吹かれて

 所属寺へ。父の墓参りを済ませて「旧盆&平和を願う法要」。お勤めのあと住職の法話をうかがう。お昼には「すいとん」をいただいた。
 教育新潮社『仏教家庭学校』第46巻の最後のページにある「信仰告白:銀鱗煌く古里」に落涙。北海道留萌市に住む94歳の元鉄道員の男性が書いたものだ。この雑誌は「真夏の法話会」のときにもいただいたのだが、そのときには気に止めなかった文章だった。
 この人が生まれたのは、貧しくも念仏の声の聞こえる漁師の家だった。おじいさんという方は開拓民として北海道に来るときに仏壇を背負ってきた人で、その仏壇の前で漁師として殺生することを詫びては念仏する人だったという。お母さんはこの人を産むと不幸にもすぐに亡くなってしまうが、仏縁で結ばれた新しいお母さんに大切に育てられる。継母だと陰口をきく人もいたが、この人はそんなことばに憤慨し涙を流しつつ、自分を育ててくれた母に楽をさせてやりたいと鉄道員を志す。旧国鉄に勤めて10年、家族パスをもらい両親を京都の本山(東本願寺)に連れていくという少年時代の夢をついにかなえた----そんな話が淡々と綴られている。
 北の海からの風に吹かれながら、その地を離れることなく生涯を終える人々がどれほどいたことかと思う。日夜お内仏に手を合わせながら、一度も本山に上がることなくお浄土に還る人々がどれほどいたことかと思う。
 2011年、本山では宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌が勤められ、私たちも団体参拝で上山することになっている。この人の文章に触れ、「また京都か。仕事に穴を空けずに行けるだろうか」と算段していた自分がどうにも恥ずかしくなってしまった。そして、今日いただいた『同朋新聞』の特集に見つけた「本気で聞いたら『三かき』や。暇をかき、義理をかき、恥をかきして聞く御法(みのり)」という昔からの門徒のことばが胸に響いたことである。