学校建造物のありようを考える

 杉並区内の小学校で児童が屋上の明かり取りを破って転落死した事故はまことに痛ましく、謹んでお悔やみ申し上げる。さまざまの人があちこちでいろいろなことを発言していると思うが、僕が思っていたことに関わる記事が今朝の asahi.com にあった*1
 その記事によれば、校舎を建てる際の建築士との打ち合わせで、区の教育委員会や学校の担当者が屋上に児童は立ち入らないと話し、それで建築士は柵を設けなかったのだという。校舎を空撮した映像をテレビのニュースで初めて見たときから、明かり取りや屋上の縁に柵がないことを疑問に思っていたのだが、それで合点がいった。
 屋上を教育活動のためには用いないという学校の方針についても、その方針にもとづけば明かり取りにも屋上の縁にも柵を必要としないという理屈も、行政の人ならばきっとそう言うだろうなという意味で理解はできる。
 しかし、そこで考えてしまうのである。地震や火災や水害といった万一の災害の際に、子どもたちを屋上に上げるという可能性を考えなかったのだろうかと。平常の心持ちとは違った状態で大勢の子どもたちが屋上に上がるという万分の一の可能性を考えたならば、明かり取りにも屋上の縁にも柵をつけておく必要があったのではないか。
 そもそも、学校建造物がどのようにあるべきかについて、専門家による議論は積み重ねられているのだろうか。教育内容の充実という見地から、万全の学校管理という立場から、それに防災やコミュニティの活性化という視点から、建築の専門家を巻き込んだ真剣な議論が必要なのではないか。100年は大丈夫と消防署に太鼓判を押してもらった昭和初期の校舎をぶち壊して30年持てばよいというハコモノを建てたくて仕方のなかったバブル期の役人たちを見たときにも思ったし、都心の森とも呼ぶべき校地の樹木を切るだけ切って建てた人間の動線を無視した見かけ倒しの校舎で暮らしたときにも思ったことである。

*1:http://www.asahi.com/national/update/0620/TKY200806200309.html