筆跡をたどって

 宮田幸一先生は鶴見大学を退職される際にご自分の蔵書を同学の図書館に寄贈されたが、今日はそのごく一部を閲覧させてもらいに行った。
 紹介状を高尾の大学の図書館に依頼したのが火曜日。その日のうちに、先方から「この2月・3月に寄贈図書を整理し半分は所蔵しないことにした」との返事があったという連絡を受けた。寄贈図書を放出してしまう図書館も増えている時代にあって、資料の半分についてはきちんと整理されてOPACでの検索も可能になっているのだから喜ぶべき部分もあるのだが、残り半分のことを考えると情けないやら悲しいやら、へこみにへこんでしまった。
 宮田先生の寄贈図書を求めて鶴見大学の図書館を訪ねるのは初めてではない。数年前に申し込んだときは、書庫に入れさせてもらい、資料のすべてを自由に手に取って見ることができたのだった。『教壇の英文法』だけで数十冊はあっただろうか。そのうちの1冊は校正用で、宮田先生ご自身の真っ赤な書き込みがなされていた。また、エスペラント関係のある書物には、宮田先生がお若い頃の国際エスペラント協会の会員証がはさまれていた。整理したということは、そういうものは捨ててしまったということなのだろうか。あのとき、もっと足繁く通い、わけを話し、そういった資料を保存することの意義を訴えておけばよかったと、なんとも悔やまれてならなかった。
 気を取り直して出かけた今日は、エスペラント関係の資料を3冊と、宮田先生直筆の学位論文のコピーを綴ったものを見せてもらった。資料を返しがてら、司書の方に資料の半分はもう処分してしまったのかをたずねてみた。すると、今はまだ書庫にそのまま眠っているとの返事。その資料の価値を話して、見せてもらえないかと重ねてたずねると、組織としての決裁が必要なので再度申し込んでみてもらいたいとのこと。助かった。「首の皮一枚」というところだろうか。