芸に生きるということ

 中学3年生の1年間、音楽を受け持ってくださった非常勤講師のK先生は「ものすごい人」だった。中学時代の仲間に会うと、決まってその先生の話になる。昨日もそうだった。
 4月の最初の授業の時、僕たちの目の前に現れたその男性。紫色のサングラスにアフロヘア、ズボンの後ろのポケットにはその髪をとかすための大きなフォークのような櫛が差し込んである。「昨日まで、ステージで歌ってたもんだからさ」の第一声に始まり、ここにはとても書けないような芸能界の裏話を1時間にわたり次々に聞かせてくださった。K先生は「歌手」だったのである。
 教科書に『コンドルは飛んでいく』が載っていた。この1曲にどれほどの時間をかけてくださっただろうか。日本語で歌い、ソプラノ・リコーダーとアルト・リコーダーで合奏し、スペイン語の歌詞も教えていただいてみんなで歌った。「今日は私の歌ってるのを聴いて」と言って流してくださったテープには司会者の声と拍手が入っていた。
 卒業を間近に控えたある日、K先生に呼び出しを受けた。プレハブの第二音楽室に入り席に着くと、直前に実施された学年末試験の答案を机に広げて「カワムラ君、あんたどういうつもりなのよ」とおっしゃる。確かに、その試験はまったく答えを書くことができなかったのである。それまで、音楽であろうと体育であろうと、実技科目のペーパーテストでそんなに苦労することはなかったものだから、僕自身どうしたものかと思っていたのだった。先生に問われて答えるうちに、僕が入試を受けるために休んだ授業の際に配られたプリントが2枚ほどあり、試験の大半はそこから出題されていたことがわかった。
 プリントの内容は「和音」だった。「このプリントを見て、テストの続きをやりなさい」とおっしゃる。オロオロしていると、プリントに沿って和音の説明を一通りしてくださり、あらためて解答の時間をくださった。これは「不正」なのかと今でも思う。けれど、僕がK先生にどれほど感謝したかはことばにできない。昨日、思い切って友だちに初めてこの話をしてみた。友だちのひとりは「俺たち、K先生はただのおもしろいおじさんだと思ってたけど、そんなにいい先生だったんだ。カワムラ、そういうことはもっと早く言え」と言ってくれた。なんだか胸のつかえが取れた思いがした。
 K先生には卒業後もさまざまの形で親しくしていただいた。いろいろうかがうと、幼少の頃から童謡歌手として活躍され、日芸に入学後はオペラやミュージカルの舞台に立たれたとのお話だった。ラテン音楽にも深く関わっておられ、ノーチェクバーナなどと同じ舞台で歌っていらっしゃったのだという。それで『コンドルは飛んでいく』だったわけだ。卒業後は教職に就かれたが、芸能活動も並行され、一時はそちらに専念されたのだとのこと。しかし、音楽教育への思いは断ちがたく、非常勤講師として再び教壇にも立たれることになったのだとのことであった。現在は日本歌手協会と日本音楽教育振興協会で理事の要職についていらっしゃるが、「反核・日本の音楽家たち」の理事をお務めだとうかがったことも覚えている。
 僕が大学生の頃だったろうか、隣りの中学校に移られた先生に、組合の先生たちの主催で平和のための音楽会が開かれるから聴きに来ないかと声をかけていただいた。第1部は先生方の合唱と構成詩の朗読で、第2部がK先生おひとりのステージだった。終演後、楽屋に先生を訪ねると笑顔で迎えてくださり、わずかばかりをご祝儀袋に入れて持参したものを差し出すと「あら、ありがとう」と受け取ってくださったのでホッとした。しばらく話していると、組合の委員の先生が「K先生、出演料というほどのものは用意できないんだが、ほんの気持ちなんで」と茶封筒を渡そうとした。K先生は「だめよ。私はこの会の趣旨に賛同して、先生たちが手弁当でやるって聞いたので出たんだから」と決してその封筒を受け取らなかった。
 僕はこのとき、先生は「歌手」、いや「芸人」なのだと思った。ご祝儀はご祝儀。芸人が断る理由はない。そして、自分のステージの価値や意味や意義というものを本当に大切にしていらっしゃる。そこは譲らないのである。
 数年後、僕が最初の私学に勤めた2年目に、K先生が非常勤講師としてその学校に来られたときは本当に驚いた。周りの先生に「この子は、この子は」と言って僕のことを話して歩かれるのにはいささか閉口したが、懐かしい先生と机を並べさせていただいくのは、くすぐったくも実にうれしいことだった。
 その学校の卒業式後の謝恩会はなかなか派手なもので、ホテルの宴会場で催されたが、どなたか気を利かせてくださったようで、円卓で隣り合わせに座らせていただいた。そのうち、余興に東京の漫才師としてはかなり有名な人が宴会場の舞台に立った。ご自身がその学校の卒業生で、ご子息がちょうどその年に卒業されたのだという。その人が舞台を降りたあと、隣りのK先生は「自分が卒業生で、子どもも世話になって卒業するってのに、『ギャラが出ない』なんて言って笑いを取ろうとするなんて、本当の芸人のすることじゃないね」とポツリと語られた。実は、誰も知らないことなのだが、先生はいつ声がかかってもよいように自分専用の伴奏のテープをポケットに忍ばせてその宴会に出ていらっしゃった。そのテープが再生されることはなく、テーブルに着く前に発声練習をしておられたその声も聴かせていただくことはかなわなかったのだが、僕はこのときも、やはりこの先生は本当の「芸人」なのだと思った。これこそが芸に生きる人の姿なのだと思った。
 このところなかなか機会に恵まれないが、またK先生にお目にかかり、親しくお話しさせていただくことができたらと思う。